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読書系フリーターの日常

ブラック企業を新卒半年で辞めた読書好きフリーターがいろいろ考えています

深夜特急のような本の交換がしてみたい

雑記

最近なんも考えずに適当に書きたいなーってことが増えたので雑記用サブブログ作りました。こっちは読書系とか考えたことでまとめたいので雑記用に。気が向いたら適当に更新するつもりです。

とりあえず今は欅坂46に夢中・・・。

 

 

本題なんですが、

バックパッカーのバイブル、沢木幸太郎『深夜特急の中で印象的だったエピソードがあります。(確か深夜特急だったと思うのですが)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

 バックパッカーをしながら長期間海外を回っていると、日本語に飢えるときがくる。
そのときのために、これぞという本を数冊くらいバックパックに入れておく。


だけど、そんな本も何度も何度も繰り返し読んで、ついには飽きてしまう。
そんなとき同じ日本からきたバックパッカーと出会う。近況や自分のことなんかを話す。お互いの読み尽くした手持ちの本を交換する。

 

そうやって本が世界を巡っていくと考えると胸が熱くなるなと。

バックパッカーする予定はないけれど、そういうのちょっとやってみたいなと思って。

 

読者登録しているブロガーさんで、本が好きな方でも普段読まない方でも構いませんが、お茶でも飲みながら自分のお気に入り・お勧めの本と私の一押しの本と交換しませんか?

 

・お互いに読者登録していて、

・コメントかブコメで2度以上やり取り*1したことのある方で

はてなブログをやっている方

もし興味のある方はいつでも名前とメールアドレスを添えてメールフォームに「交換希望」と連絡ください。メールを返します。

(それ以外の方は応相談)

 


私はフリーターのうちは暇なので、今でなくとも気長に募集中です(^ ^)

読書関係以外で私に興味を持たれる方はいないと思いますが、交換以外でも声をかけていただければ。

場所は大阪・京都・兵庫のどこかでお願いします。

 

 

就活してます。面接官が苦手なタイプだったときのしんどさは異常

相性の合わない面接官の話

*1:ブコメはお互いに2回以上付けたことがある

「好き」を仕事にするのは正しいのか問題

雑記

好きなことで食べていくのって、一般的に正しい(良い)と思いますか?

 

 

最近働くことについて考える。

というのも、企業勤めが嫌で嫌で就職に失敗してすぐ辞めてフリーターになって、好き放題やりたいことだけしながらだらだら生きること約1年半。

あろうことかこの私がついに働きたくなったのである。

徹底的に好き放題生活した甲斐があったというものだ。

 

そんなわけで今就職活動を再開していて、特別やりたいこともないので次はどんな職業にしようかと考え、いろいろ調べたら引っかかってくるのがこれである。

 

好きなことを仕事にするのは正しいのか問題 だ。

「正しい」の定義

そもそも正しいって何?という話だが、これは私は「その生き方を積極的に肯定・実行しようとし、またそのような状態が一般的に望ましいと考えている」=好きなことを仕事にするのは正しい、としたい。

論拠が極めて個人的な体験・見聞になりがち

往々にして正しい、いやいや好きなことは趣味に止めた方がいい、はたまた好きより得意なことを仕事に・・・など正しい or 正しくない+α(条件付)の答えが出る中で、いつも気になるのが主張する人の論拠が完全に個人の体験だということである。

もちろん皆が皆ではない。しかし過去のデータとか、統計とか、客観的なデータを持ちだしてくる人はあまり見ない。アドバイザーなどはまた別であるが。

 

それの何が引っかかるかというと、自分(もしくは有名人など、いずれにしても個人)と同じ人間はいないのだから、(一般的に)正しいか?という質問に対して私や私の周りが、有名人がこうだからこう、という自分含め知っている数人の話を持ち出してそれぞれ全く違う多数たる一般に当てはめようとする風に見えてしまうところだ。

 

あえて単純化するが、大半はこの4パターンになる。*1

・好きなことを仕事にした/成功 ⇒好きなことを仕事にするべきだ

・好きなことを仕事にした/失敗 ⇒好きなことは仕事にすべきではない

・好きなことを仕事にしない/成功 ⇒好きなことを仕事にしなくてもよい

・好きなことを仕事にしない/失敗⇒好きなことを仕事にした方がよい

 私見では、正しい派も正しくない派も片方が主流とか多いとかはなく、どちらも一定数いるイメージである。

ではそれらの双方が個人の感想で主張しているなら、どちらもあり得るので両方正しい/正しくない ということになる。

どちらも正しくないのだ

「じゃあ人それぞれだよね」で片付けてしまっては面白くないので、少し掘り下げてみる。

 

大前提として言いたいのは、「好きなこと」は人によってバラバラであり、その「好き」の程度や認識も、もっと言えば仕事として稼ぎたい額も人によってバラバラだということ。

 

意外とここの重大にして甚大な個人差を考慮に入れていない意見がちらほら見られる。

「人それぞれ」を主張していたとしても、努力の必要性を説いたり、「好き」の程度の認識の差を指摘するくらいでなんだかスッキリしない。

 

好きなことを仕事にした成功者がよく言うのは、「好きだからここまでできた」である。

ものすごく好きだったからそれを突き詰めてその道の第一人者となった研究者。ITオタクの知識を活かして起業してIT分野で成功した企業家。一流のスポーツ選手。人気の作家。

 

彼らはそもそも、そのことに対してアホみたいに長い時間努力できるのである。才能等の存在はあるのかないのか知らないが、少なくとも適性や素養はあるわけで。

成功には、流れに乗れるとかブームに乗るとかも含まれる。

それはつまり、その好きなものが「流行している」「ニーズが高い」などの要因にたまたまマッチしている状態になるからだ。

 

では、これからができずに夢や現実から離れたイメージ、流れに乗れない(作れない)状態で好きなことを仕事にしようとすると失敗しやすいということになる。

 

まず好きなことで食べていこうと思う人ならその好きなことに対する知識・技能はある程度のレベルに達しているのだろうけれども、たとえばイラストなどは、市場が成熟してしまって競合が多かったり供給過剰に陥っているものが「好き」ならば、要求されるのはかなりの完成度だったりそのときに受けの良い絵柄だったり、マニアックな多方面にわたる知識や技術だったりする。

要は求められるレベルが高いので、そのレベルに達していないと仕事にならない。

 

 つまり、高度なレベルが求められる仕事になる「好きなもの」ならば、参入に対するハードルが高くなる傾向があるだろう。

 まとめ

私の結論としては、仕事を選ぶ際において考えないといけないことは、

 

1、その「好き」なものが現在~数年において市場的に仕事として成立する(稼げる)分野である or 稼ぐ方法が見えており、

2、なおかつそれを仕事にすることで、その「好き」が(個人が思う)最低限の生活に必要な金銭を稼ぐことができるレベルに達している状態

 

ならば、好きなことを仕事にするのは正しい、となるのではないだろうか。

 

 「必要なレベル」「仕事として成立するか」この辺りは、自分一人でなく第三者に一度アドバイスを求めてみるほうが冷静に判断できそうだ。

肯定派にしろ否定派にしろ、他人にもそれを勧める場合は、その人の好きなことが・好きな(できる)レベルが、自分と似たような条件であるのか否かくらいは考慮してほしい。

 

ちなみにだが、無名・貧乏からスタートして成功した成功者は「諦めず続けてきたから成功しました」ようなことをよく言うが、それはおそらく続けるうちに1と2が同じタイミングで揃った結果なのではないだろうか。

それと、三番目くらいによく見る「向いていることを仕事にするべき」は2の部分を抽出したものであると考える。

いずれにしても、最低限両方揃わないと難しい道になると思う。

 

 

※市場や求められるレベルは時代により遷移するため、「今するかどうか」の話に絞って書いた。

働くこと、好きを仕事にすることに迷いのある方にお勧めする本

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

 

さまざまなパターンの 働きたくない/好きなことで生きるを哲学する一冊。「働きたくない」をここまで突き詰めた本は他に類を見ない。

「手紙屋」

「手紙屋」

 

 自分の中の働くことの位置づけについて考えたいときに。

*1:例外あり

私が読書ブログを書く理由

雑記

私は毎日、ときには一日3冊くらい本を読んでいるので、ちょくちょく「なにか面白い本を読みたい。だけど面白い本がどれかわからない。その今の気分に合った面白い本をどうやって探せばいいかもわからない」という状態に陥ります。

 

検索しようにも、「なんとなくこんな感じでこんな気持ちになれるのが読みたい」みたいなふんわりした状態だと探せなくて。

それで、面白い本を自分で紹介していけばいいんじゃないか、それを通して他のブロガーさんと仲良くなれば面白い本の情報も流してもらえるのではないか。と思ったのが始まりです。

以前にも何度か書いていますので、当ブログを最近知っていただいた方に。

 

読書紹介をメインにするつもりが、あんまり書けていなかったり脱線したりもしているけれど、私がブログを書く理由は

「本を読みたいと思っている人に役に立つ情報を提供したいから」

「面白い本の情報がとにかくほしいから」

です。

 

なるべく本を紹介するときには「~な気分のときにおすすめ」とか「~な状態の人におすすめ」とか書くようにしてます。

それにしても、読みたくなるような読書紹介ブログってどんななんだろう?

 

 

 

おすすめ本の紹介系はこんな感じで書いています。

quelle-on.hatenadiary.jp

quelle-on.hatenadiary.jp

 

quelle-on.hatenadiary.jp

 

読む方に関しては読書系以外のブログも多いです。

最近は他ブロガーさんとの交流欲も芽生えてきているのですが、いかんせん無精で・・・。

 

 

今週のお題「私がブログを書く理由」

気になってる小説・ビジネス書・エッセイ&とりあえず迷ったら読んどけって本リスト

読書

サイドバーのプロフィールに最近流行の欲しいものリストをつくってみました。

内容は95%本で、普通に面白い本を探している方にもおすすめなリストです。

ジャンルは小説、エッセイ、ビジネス書が主。

 

www.amazon.co.jp

 

 

読んでないものも多いですが、いろんな人に勧められたり他ブログで評価がかなり高く面白そうだったり、はたまた持っていないけれど読んだことがあってめちゃくちゃ面白かったとかで。

ひろこは貧乏ゆえ古本屋でしか本を買えないので、出回らないものはあまり手に入らないのです。たまに奮発してamazonで買ったりしますが。

でも、これらは絶対集めて読むつもり。まずはお金稼ぐために就職しないとね・・・。

 

中でもリストで一押しのものをタイプ別で5冊、軽く紹介しておきます。

 エッセイ

学生時代にやらなくてもいい20のこと

学生時代にやらなくてもいい20のこと

 

これは読んでます(でも持ってない)。とにかく何も考えずゲラゲラ笑いたい人に。

写実的でシリアスな小説のイメージが強い朝井リョウですが、エッセイはバカ面白いです。笑える、という点ではこれを上回るエッセイは読んだことがない。

笑いすぎて死ぬ。他人がいる場所で開こうものなら、たちまちに後悔する。

 

ライ麦畑で熱血ポンちゃん (文春文庫)
 

 熱ポンシリーズはかなり長く連載されているのでまだいっぱいあります。

超ゴキゲンなエッセイに、全体的に自分の小さな悩みなんかどうでもよくなる。

自分の欲求に忠実に、仕事はサボっておいしいもんを食べて好きな人と騒ぐ!海外にも行きまくって現地の人に溶け込んでハッスルする!ビバ自分!

最近離婚しちゃいましたが、結婚生活が長かった黒人でアメリカ軍隊の夫とのほんわかラブラブな日常とかも良い。

 

生き方

 これも読んでいます。今なにか上手くいっていなかったり、壁に当っている人に

誰が言っていたか忘れましたが(為末か?)、「諦める」という言葉の語源は「明らめる」。自分の得て不得手、どこまでできるのかを「明らかにして」取捨選択することです。

為末氏*1は元陸上選手として、現在はトレーナーやテレビ、執筆などいろいろなことをされていますが、アスリート出身者に珍しく努力ではなく生まれ持っての才能に注目して発信していっている人。

もし、努力しても上手くいかないなら一度読んでおくと心が軽くなるはず。

 

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 アウシュビッツなど強制収容所を生き延びた精神科医である著者が、その経験から限界の状態下での人間の精神状態などについて書いた本。

いろいろな人から何度も、「本は読まないが、これだけは印象に強く残っている」「絶対に一度読むべき。人生についての考え方が変わる」など言われ続けています。

ものの見方や生き方について深く考えさせられる、強烈な読書体験ができるらしいです。

 

小説

初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

 

 ブコメでおすすめされてまだ読んでないのですが、amazonのレビューの評価が抜群に良い小説。

「子どもに読ませたい名作」とか「子どもが大人になる過程を描き切った」とか、ハードボイルドの傑作と名高いこの作品。

間違いなさそう。

 

あと、リストにはなくて(というのももうこの前注文してしまって)ものすごく良かったのが、これ。

ケインとアベル (上) (新潮文庫)

ケインとアベル (上) (新潮文庫)

 
ケインとアベル 下 (新潮文庫 ア 5-4)

ケインとアベル 下 (新潮文庫 ア 5-4)

 

id:poremotoさんに以前勧めていただいたものです。

 

 1900年代~60年年代のアメリカで、波乱万丈な二人の男とその家族の生きざまを政治や経済とものすごく密に絡めて綴った一代記。

ポーランドに生まれ男爵家で育つも、ポーランド侵攻により捕虜や奴隷のような生活を経て渡米、一大で材を築きあげたアベル・ロスノフスキとエリート銀行マンの家に生まれ出世街道を駆けのぼるケイン。

 

それぞれがいろいろな人と出会い、別れ、ビジネス街道を駆けのぼり、恋愛をし、子どもが生まれ、戦争に生き、経済的な駆け引きを経てつながり・・・。

こういった小説で飽きずに(特に翻訳ものでは)これだけの長さを読めることはまずないのですが、もう1ページ目からこれは読めると確信、一日一冊の二日で一気に読み切ってしまいました。

 

一人の人間とともに、一つの時代を生きてきたような読後感でした。

本当に読む価値がある。この辺の経済や歴史もお勉強できます。

ジェフリー・アーチャー(著者)、すごすぎ。。。

 

あまりに面白かったので、続編?も注文しました。

ロスノフスキ家の娘 (上) (新潮文庫)

ロスノフスキ家の娘 (上) (新潮文庫)

 

 

 ●●● ●●● ●●● ●●●

 

読んでないもの含めて少し。

読書好きの方や、そうでなくてもなにか読むとっかかりを探している方、面白いものを探している方の一助になったら。

これは読んどけっていう本の情報もとても嬉しいです。

 

 

プレゼントもお待ちしていますよ♥

なんて。

*1:「何やってんだよ、タメ!」山本高広のモノマネで有名?

真面目系クズだった私をほぐしてくれたのは、山田詠美だった

読書 雑記

 真面目系クズであった。

高校生の私はまごうことなき真面目系クズであった。

 

学歴至上主義の親に育てられたせいもあるけれど、私は高校を出るまで「いい大学に入るのが人生の全て」だと思いこんでいた。

その割に何一つ上手くできることもないし努力も嫌いなので、とりあえずがむしゃらに真面目に親・先生の言うことに従って媚びて、結果友達もいないコミュ力も皆無に成績も悪いで何一つできないクズ野郎であった。

昼休みはすることがないので図書室に直行である。

 

泥みたいな私の青春だったが、そこに影響を与え、自分を変えるきっかけになった本が山田詠美『ぼくは勉強ができない』だったと思う。

 

当時高校の社会をを担当していたなかなかファンキーな先生がいて、かなり本質とか面白さに重点を置いた授業をしている人だったのだけれど、その先生が授業中に勧めていたので読んでみた。

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

 一応センター試験の問題に出題された小説ではあるが、正直言って「これ教師が勧めるー?」みたいな内容である。

 

しかしね。ぼくは思うのだ。どんなに成績がよくて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。

これが主人公の言である。

主人公・秀美くんは成績が悪いし気に入らない教師にも逆らう。でもクラスの人気者でイケメンでモテて、しかもサッカー部だわ気の置けない男友達とワイワイやれるわその上バーで働いてる年上のおねえさん(超いい女)と付き合っている、リア充の権化である。

 当時の私とは全く真逆の人間だ。

 

かといって何も考えずヘラヘラしているわけではなく、むしろその逆で、本もよく読み常に自分の価値観でもってなぜ?と考えている。

だから、統率しようとルールを押し付け生徒を管理しようとする教師とぶつかったり、勉強する意味が見出せなかったりして学校という枠からはみ出してしまっている、そんな少年である。

 

裏表紙のあらすじには最初にこう書いてある。

ぼくは確かに成績が悪いよ。でも、勉強よりも素敵で大切なことがいっぱいあると思うんだ

秀美節はいろいろあるのだけど、当時の私は特にここにかなり衝撃を受けてというか考え込んでしまった。

というのも「勉強より素敵で大切なこと」になんて思いを巡らせたことがなかったので。

 

そんなところを皮切りに、それまでの真面目ガチガチだった私の「常識」にガッツンガッツンひびを入れてくれたのである。

一例を挙げると、

  • クラスみんながカワイイカワイイ言う女子の普通っぽさを装った世間に媚びる感じがキモい

(地味ブスだったが誰から見ても愛らしく女性らしく可愛らしい人間にならないといけないと思っていたし、そういう娘たちを批判するなんてあってはいけないと思っていた)

(2chなどにどっぷり浸かっていた折、グサッときた)

  • クラスメイトの主人公にしてみればなんでもないことが理由の自殺をきっかけに、個人個人の価値観の違いがいかに大きいかについて

(ほとんどのことを自分基準の価値観で判断していた)

  • 「健全」って何?「まっすぐ・無駄がない」ことは正しいのか?

(清く正しく世間の敷くルートを辿る人生以外の選択肢を考えたことがなかった)

  • 押し付けられる世間の声、人の言うことを自分の価値観で判断すること

(親と先生の言うことはすべて正しく、齟齬がある場合は自分が悪いと思っていた。まず自分の価値観なんてものがなかった)

 

こうやって最後にここまで老成した普通の高校生とは違うような書き方をしておいて、

  • そうやって周囲を観察して「自分は違う」と思っている主人公の断罪

からの主人公が勉強することの意味を考えて自分なりに答えを出していく、という流れなのだけど、この最後で一度壊して成長→再構築の構成がさすがだと思う。

どんな人間でも、それまでの自分とか価値観がぶち壊されて落ち込んで悩んで、そこを乗り越えて新しい自分を作るという道を思春期ぐらいには通るものだと思うから*1

 

結局主人公も少ない人生経験でもって考えたり判断したりしているわけで、その「納得できなさ」「疑問を持ってそのうえでどう生産的に行動するか」みたいなところと折り合いをつけるのが大人になるとか、社会で生きていく、だったりする。

こんな主人公も、結局まだコドモだったってこと。

 

 

 今思うと、思春期に抱えがちな悩みや陥りがちな精神状態に対して斜め方向からアプローチしてくれる、高校生には本当に読むべき本だった気がしている。

それまでの短い人生で生きてきた一面的な価値観や思いこみにメスを入れてくれると思うし、自分の人生を考える上ではかなり軌道修正するきっかけになったから。

 

一番大きかったのは、繰り返し「あなたが親や世間から言われているそれって、あなたは本当に正しいと思っていて、それを好きなの?やりたいの?」と問いかけられるような内容だったことだろうか。

それって一般的にあまり学校で言ってくれる人がいないことだし、私にはそれまで誰もそういう風にいってくれる人がいなかった。そしてそれが後に大学というモラトリアム期間でじわじわ効いてきた気がするので、ある意味私の青春の一冊だ。

 

おかげさまで今はずいぶん柔軟になったと思うし、適当に力も抜けるし友達もいるし、なんならちょっと羽目を外したりもできるのだし。

 

 

それにしても、 あの先生はよくこれを生徒に勧めたものだと思う。

 基本的に山田詠美は「世間の常識・ルール」とか「押し付けられる普通」とかが嫌いなようだし、本書も世間の敷いたレールに従って生きることへの反骨精神みたいなものが溢れているので、一般的にはあえて教師が生徒に読ませたいものではないんじゃないかと思うから。

 

 

ちなみに、卒業後、私はその先生が教えていた科目を大学で専攻することにした。

 

ぼくは勉強ができない (文春文庫)

ぼくは勉強ができない (文春文庫)

 

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine

*1:アイデンティティの拡散と新たな自我同一性の獲得ってやつでしょうか

本は「読むだけで実行できなきゃ意味がない」 ?

読書 雑記

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 私は、その意見を発信する側を除き、「ただ本を読んだだけで結果(もしくは行動など)が伴わなければ意味がない」という意見は、勉強が苦手な中高生の言う「どうせ勉強しても無駄だし、オレ数学なんて一生使わないからいいもーん」とかと正直同じだと思っている。(かくいう私も数えきれないほど言ったことがある)

 

元塾講師として断言するけど、そういうこと言うヤツは間違いなく目先のテストしか見ていなくて、この先の人生とか学生生活とかのロングスパンでは考えていないのである。

1ヵ月先のテストに対してなら受験で数学は選択しないと決めているとか、それならそのテストなり受験勉強なりに対して不要との判断を下しても(場合によっては)良いかもしれない。

 

しかし、そもそもその勉強はなんのためにするんだという話。

 

それはひとつには人生で出会うさまざまなことへの、そして自分の人生における分岐の可能性に対しての基礎をつくる意味なんかが含まれているでしょう。

必修の分野は生活の各部分の土台となる考え方だからこそ、国をあげて教えているのであって。自分の一生を考えると、「勉強が無駄・勉強しなくていい」なんて言えないはず。

 

たとえばだけど、この先就職したら仕事で数学が全く不要とかなかなかないぞ、と。

 いざ必要になったときに多少なりとも知識があるのと、ゼロから始めるのとではチャンスや進度にかなり差がでるはず。*1

 

 そして賢明な社会人の皆さまはこんなことよくよくお分かりのはず。

それなのに、こと読書に対しては何の意味もない、と短絡的に判断してしまうのはどういう了見なんだろう。

 「意味がない」とは

さっきの話を読書でいうと、「一か月後までに●●という結果を出そうと思い、この本を読んだ。しかし結局行動に移せなかった」(=1ヵ月後のテスト)というのは1ヵ月後に出そうと思っていた結果に対しては意味がなかったと言ってもいい。

しかしながら、たとえが不謹慎なのは承知であるが、そのとき「なんの意味もなかった」と言っていいのは一ヵ月後に間違いなく死ぬ人だけであると思う。それでも広義では無駄ではなかったと思うのですが。

 

大抵の場合、その本を読んだ後も人生は続くでしょう。その今不要と判断した知識が今後必要な場面に出くわす可能性は普通にある。

 

ところで、鶏鳴狗盗(鳥の鳴き真似、犬のようにこそこそ盗みを働く)という四字熟語がある。

この四字熟語は、中国の春秋戦国時代に人を重宝し食客を多く抱えたことで有名な孟嘗君が策に落とされ殺されんとしたときに、周囲に反対されながらもたまたま世話をしていた鶏の鳴きまねが上手いくらいしか能のない食客の鳴きまねと、コソ泥野郎の食客の能力によりピンチを免れたという話があるのです。

故事成句でたどる楽しい中国史 (岩波ジュニア新書)

故事成句でたどる楽しい中国史 (岩波ジュニア新書)

 

※ ↑ 参照

どんな技能や知識でも重宝して自らに役立てた孟嘗君のエピソードであり、熟語の意味は全く役に立たないもの、くだらない技能を持つ人/もしくは、そんな使えないものでも役に立つことがあるということのたとえ。

主観で判断せずにどんなものでも知識としてストックすることで、それが思わぬところで役に立つということを昔の人は伝えたかった。それを知った後の人も、それを次の世代の人に伝えようとした。そうして2000年以上過ぎた今日まで伝わってきた教訓。

 

それを踏まえて話は戻るけれど、たとえサラッと読んでしまった本の内容は全く覚えていなくても、いざ必要となったときに「そういう本があった」と思いだせるだけでも知識として蓄積されたということにはならないのだろうか。

人生は何が起こるのかわからないのだから、今このタイミングにおいては不要であったという事実があるのみ。

 

行動に移せないと意味がないと言われる最たるものは自己啓発書だけれど、それだって行動に移せなかったことを人生のどこかの局面でもう一度やってみる気になるかもしれないし、その本の内容が必要な局面が人生でいつ訪れるやとも知れない。

少なくとも、その本のような考え方がこの世の一部を占めていると学べることのどこが無駄でしょうか。

 

最低でも世界がちょっとだけ広がって、あと話のタネにはなりますよ、と。

 

今のあなたには必要なかったかもしれないけど、5年後に必要になって今度は実行できるかもしれないし、読み返す日が来るかもしれないよ、と。

まとめ

自分の人生を見越して勉強を無駄と言い切る大人は少ないのに、同様の効果を期待できる読書を結果だけ見て意味がないと言い切る大人が多いのは変だな、ということをふと思って。

つまり、読書だって「意味があるかないかは一生スパンで考えよう」です。

もっとも、あらゆる情報や技能の取得には同じことがいえると思うのだけど。

 

もっとも、この記事に対する言葉は「時は金なり」なのだろうということは想像がつきます。でもやっぱり、意味があったかどうかは現在の自分自身には判断不可能だと思うのです。

 

 

※「結果を変えるためにそのツールとして読書する」などの場合はまた別ですので。そこでうまくいかないのは方法論かツールの選択が間違っている可能性の方が高いと思います。

 また、その「無駄」という情報を発信する側はいろいろな思想や経験があってのことでしょうから、今回の話には含んでいません。

 

読んだ本が関係ないところで活きてきた話↓

quelle-on.hatenadiary.jp

 

*1:もちろん、明確に目標があり他に時間を割くために捨てるとか、何らかの理由でしんどいからやめる、とかは全然OKだしすべき判断であると思う。無理になんでもできるよう強制するのは反対です。

京極夏彦 『嗤う伊右衛門』 の一考察

読書

お久しぶりです。ちょっとメンタルの調子を崩していましたが、私は元気です。

 

京極夏彦にハマってます。

今『嗤う伊右衛門』を読み終わったところ。

嗤う伊右衛門 (角川文庫)

嗤う伊右衛門 (角川文庫)

 

 さすがの京極夏彦。有名どころのパロディというかアレンジというか、話の構成ががすごくて一気に読んでしまった。

 

※以下、原作が映画を観ていないと読んでも面白くないです。ネタバレ含みます。

 

 

読後何度考えてもお岩の死因と死んだタイミングがわからなくてググっていたらこんな考察を見つけて、面白いなと。

(なお、結局お岩の死因等は誰もはっきりわかっていないようである)

各題に注目して、それがシンメトリーになっていることに言及されているのだけど。

1.木匠の伊右衛門
2.小股潜りの又市
3.民谷岩
4.灸閻魔の宅悦
5.民谷又左衛門
6.民谷伊右衛門
7.伊東喜兵衛
8.民谷梅
9.直助権兵衛
10.提灯於岩
11.御行の又市
12.嗤う伊右衛門


章の名前が全て登場人物からとられており、その配置が(いささかいびつな)シンメトリーを成している。1と12、2と11、3と10は同じ人物。4と9 は、この一件に関わったことで運命を狂わされたものたち。6を中心に据え、8は措き、残ったのは5と7であるが、この両者は今回の一件を引き起こした張本人であると言えなくもないのである。

 もう一度内容を考えてみると、これは全体的にシンメトリーというか、それぞれ同じ境遇の人物が対になっていて、同じような人生を同時進行している話なのだと思って。

引用した文にないものでは、他に袖と梅又市と直助又左衛門(岩の父)と利倉屋(梅の父)、伊右衛門と喜兵衛も案外善と悪で対になっているが、同じなのかもしれない。

又左衛門と利倉屋

どちらも男親一人で育てた我が娘可愛さの余り、娘を想う行動により娘を積極的に不幸にしている。

又左衛門:岩を他の男に渡したくない故、毒を盛り縁談を断り二目と見られない顔にした

利倉屋:傷ものにされた娘の行く末を案じるあまり最悪の相手に無理に嫁がせてしまった

袖と梅

彼女たちは極悪人・伊藤一味に拐され襲われた後に自らの反応により二次災害に遭っているのだが、その経緯と結末が一緒。

一度逃げ出して実家に帰った後、本文にあるように二人ともその辛さを親族にアピールすべくふさぎ込んだり泣きわめいたりする。

両者死ぬことも考えるも、実際伊東の件は致命傷ではない。しかし過剰に(されたことを考えると妥当ではあるが)騒ぎ立てたことにより、親族が動き本人の意図と違うところに及んだ結果、

:自分を襲った伊東に半ば騙された形で縁組、名ばかりの妻として監視され奴隷扱いの上嫌でたまらない伊藤に辱められ続ける

袖:兄・直助がたしなめ続けていたが、そのうち密かに思いを寄せていた兄が暴走、直助に襲われ、自殺

 

二人とも伊藤に襲われたのは自分の親/兄への伊東の報復・当てつけから。

 又市と直助

 彼らは近親相姦を犯し、その結果自分の母/妹を首吊り自殺させてしまう点で同じ(又市は未遂)。

又市:生き別れた母(母は又市が子と知らない)に誘われるも抱けなかったことから

直助:自分を抑えられず妹を襲ってしまったことから。

 

ちなみに、又市が自分の母の棺桶を扱うシーンと伊右衛門が岩の棺桶をシーンもおそらく対では。棺桶に座って嘯いてみせるあたり。

伊右衛門と伊藤

これはやや微妙ながら、本当に好きな相手(岩/梅)に素直になりきれず、相手に嫌われてしまい、その結果妻を不幸な道に進ませているという点で・・・。

伊東が本当は梅のことが好きで甘えた結果の扱いであるようなことは作中で触れられている。

伊右衛門岩を大事にするあまり嫌われる→梅を娶るも岩が忘れられず、梅が狂う

伊藤:梅をいたぶるあまり嫌われる→岩を騙して離縁させたのち、岩が狂う

 

(ちなみに、伊藤をみているとマンガ「ぼくらの」のウシロくんを思い出します)

まとめ

伊右衛門側:

妻→岩/又左衛門

協力者→直助、宅悦

 ↕

伊藤側:

妻→梅/利倉屋

協力者→秋山、堰山

 

まとめるとこんなところで、それぞれ同じポジションの人物が似たような感じで動いている感じでしょうか。

もっと深く考察できたら追記します。

それにしても、ゲームマスターというか、いつも話を操るポジションの又市が今回は話の渦中の人物として振り回されているのが印象的な話でした。

嗤う伊右衛門 (角川文庫)

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 映画版、小雪が岩のイメージにぴったりなんだよなあ。

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