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読書系女子のあれこれ

旅行と本が好き。面白かった本の考察とおすすめです。

パッチワークみたいな小説だった『決壊』平野啓一郎

平野啓一郎の小説で一番有名なのは、福山雅治主演で映画化した『マチネの終わりに』だろう。

マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)

 

私も平野啓一郎の小説で最初に読んだのはこっちで、けっこうしっかりめの結ばれない恋愛の話だ。

当時既婚者と不倫していた同僚に

「本当に読んで良かったと思えるような小説だから読んでみてほしい。最後が本当に良い」
と言われ読んだのだけど、最後本当に良かった。

映画のキャストのチョイスも良い感じ。

マチネの終わりに DVD通常版(DVD1枚組)

マチネの終わりに DVD通常版(DVD1枚組)

  • 発売日: 2020/05/27
  • メディア: DVD
 

 

そして他の作品が気になり、手に取ったのが本書。

決壊〈上〉 (新潮文庫)

決壊〈上〉 (新潮文庫)

 

マチネと書き方も作風も全然違う!幅がすごい。

 

マチネの方が後なのだけど、マチネは非常に知的水準も教養も高くお上品な小説、という印象を受けたのに対し、決壊は俗っぽさや普通の日常を突き詰めて描いたような、そんな感じ。

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※ネタバレあり

 あらすじ

 

(本書より)

 

2002年10月全国で犯行声明付きのバラバラ遺体が発見された。容疑者として疑われたのは、被害者の兄でエリート公務員の沢野崇だったが……。〈悪魔〉とは誰か?〈離脱者〉とは何か? 止まらぬ殺人の連鎖。明かされる真相。そして東京を襲ったテロの嵐!“決して赦されない罪”を通じて現代人の孤独な生を見つめる感動の大作。

戦慄のバラバラ殺人──汚れた言葉とともに全国で発見される沢野良介の四肢に、生きる者たちはあらゆる感情を奪われ立ちすくむ。悲劇はネットとマスコミ経由で人々に拡散し、一転兄の崇を被疑者にする。追い詰められる崇。そして、同時多発テロの爆音が東京を覆うなか、「悪魔」がその姿を現した! 

 

※それと連続殺人を煽る謎の男、地方の厨二病をこじらせた中学生北沢友哉、沢野家が徐々に家庭崩壊していく様などが絡み合った話でした。

 

読んでみて感じたこと

 

パッチワークのような、というのは私の言葉ではなくて、そう形容したレビューを複数見た。

そして私もそう感じた。

この小説には多分主人公はいなくて、さらに小説を通して語られる筋となるようなテーマもない。

 
それと正直、他のどの部分とも相関しないエピソードや登場人物も多い。

(例:北沢友哉の母親のパート先に現れた男の集団
ー厳密に相関しない訳ではなく、社会や世界の一部として、あるいは結果として背景的に描かれている)


レビューなどを見る限り、そこが物足りなさや、読後の困惑を招いているようだ。

私も読み終えた直後は、「すごいものを読んだ…」という感想でぼーっとしたけれど、なんとなくすっきりしない感じが残っていた。

 
作者もすっきりさせようとしていないと思うし、「すっきりしない」というのが感想として正解だと思う。

 


色々な社会現象や、立場の違う人間の生や内面や、そういうのがパッチワーク的に切り貼りされて相関し合っているような、そんな小説。
そういう感想を持った。

  

テーマと一貫性の考察

 ※以下は読んでいないとわかりにくいです


私はこの小説を通して一人の人生を追いかけたドキュメンタリーを無責任に観ているような感覚だと感じた。

 

全ての小説はそうなんだけれど、例えばテレビでいろんな人を追いかけた番組や特集をを、ソファーに寝っ転がってチャンネルをコロコロ変えて観ているような感覚。


だから最初から最後まで読むことにより一貫性が見えてくる部分というのは本当に少ないのだけど、強いて根本となる部分を挙げるなら、


 皆、ほんの少しの「遺伝と環境の差」が、似たような無数の他人と
違った結果を招いている

(下巻最期の室田と崇の会話より)

 

この部分ではないか。


佳枝(バラバラ殺人被害者の妻)が首をかしげているように、普段強い主張をすることのない被害者が、殺人犯に幸福でないと答えることを強要され拷問されたのに、「あの場(※拷問)でなぜか」自分は幸福であると強く主張した。自ら選んだ結果として殺された。


佳枝(バラバラ殺人被害者の妻)は他にいた「本当に好きな人」と上手くいかなくなって良介と結婚したことに、お互い心にわだかまりを持っていた。
それが一因となって良介(被害者)はブログを書き始め、そのブログが犯人である「悪魔」に目を付けられ被害者として選ばれてしまった。


同じ親のもとに生まれながら反対の気質と能力、容姿を持った良介と崇。
世間から見たら平凡で幸福な家庭を築いていた良介、エリート街道を若くして進み、相手を固定せずに関係を結ぶ崇。
それぞれの人生が2002年にきた段階で平凡と非凡、被害者と容疑者に分かれた。

 

f:id:quelle-on:20180930160253j:plain


北沢友哉は高いIQと社会に馴染みにくい気質を持って「あの家庭」に生まれた。

ほんの少しの違いで、「決壊」する日常。自分。


至極当たり前の話だけれど、遺伝と環境という、ほんの少しの分岐点の選択の差で、すべての結果が確定していく。

 

「決壊」の意味


「決壊」というタイトルの意味するところをずっと考えている。


普通の生活の「決壊」
当たり前の日常の「決壊」
社会の防波堤の「決壊」
それまでの自分という意識の「決壊」



パッチワーク的というより、「遺伝と環境のわずかな差」により起こる「決壊」の形を、悪魔的な殺人事件(=それ自体も社会のシステムの決壊である)を中心にそれぞれの人物に焦点を当てて描いた小説なのではないか。

 


ほんの少しの差で、自分は「あっち側」になるかもしれない。なっていたかもしれない。

 


そういうことが一つ本書のテーマになっているように感じた。

 

決壊〈下〉 (新潮文庫)

決壊〈下〉 (新潮文庫)

 

しかし平野啓一郎の小説の登場人物、しゃべり方とメールの打ち方のクセが強い。

 

村上春樹が苦手じゃなくなってからの『海辺のカフカ』

 

1年半くらい前に急に村上春樹が読めるようになった。

 

私はもともとノルウェイの森から入り、上巻半ばで挫折したクチである。

その読めるようになったプロセスについては以前書いた。

quelle-on.hatenadiary.jp

 

春樹リベンジのきっかけになったのが、チェコ好きさんのこの記事だった。

aniram-czech.hatenablog.com

まずノルウェイの森から入った人は村上春樹を嫌いになりやすい。」

そしてその理由の分析・考察。

でも、「ノルウェイの森村上春樹作品の中でもイレギュラーなんだ」、と。

 

要点を抜くとこんな感じの内容である。

 

その後、

Letter from Kyotoの川添さんとお話させていただく機会があって、

 

村上春樹は、もともと外文にインスパイアされているから、初期作品は

登場人物の独特の口調は英語的な表現からきている。今の作品と初期作品は違うので、初期作品から入った方が読みやすいのではないか」(大意)

 

みたいなことを聞いて、それでか・・・と妙に納得し、先日春樹氏のデビュー作である『風の歌を聴け』を読んでみたのである。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2004/09/15
  • メディア: 文庫
 

なるほどね。

 

外国語の雰囲気が現在より強く、納得できたと共にそう捉えると読みやすかった。

翻訳調が強すぎて途中まで日本を舞台にした話だと気づかなかったくらい。

 

だから村上春樹の小説の登場人物たちは、あんな独特の(いやに気取った感じにも聞こえる)喋り方をしているんだな。

 

そして、『海辺のカフカ

 

風の歌を聴け』の次に読んだのが、海辺のカフカである。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2005/03/01
  • メディア: ペーパーバック
 

全然読めた。むしろ面白くて一気に読み切ってしまったくらい。

 

読む中で前述のチェコ好きさんのこの言葉が、間違いなく道しるべになっていた。

 ほとんどの村上春樹の小説には、この『象の消滅』のように、不可思議なことが起きたり、実在しない奇妙な生き物が登場したりします。われわれ村上肯定派の人間にとっては、こちらのほうがスタンダードです。つまり、彼の小説は“ファンタジー”であり、“シュルレアリスム”なんです。*1
リアリズムを追求した小説では、ないんです。  

 全くもって、その通りだった。

 

 海辺のカフカ は、非常に観念的な小説だと思う。

 

一応は主人公である田村カフカ少年の「現実」は一本の軸として存在するも、夢やファンタジー的な世界の話が同時並行して進められ、徐々に彼の世界へ侵食し混ざり合い、そしてまた一つの現実に収斂するようなストーリーだ。

 

登場人物は揃いも揃って、例によって、やけに哲学的な表現をしたがる

(ある部分では「メタファー」という言葉が出てきすぎてゲシュタルト崩壊しかけた)。

もっとも、この小説自体がいろいろな観念のメタファー(隠喩)であるのだろうけれども。

 

例えば、『色彩を持たない多崎つくると(略)』の春樹いじりレビューで一躍有名になったドリーさんの言葉を借りれば

Amazon.co.jp: 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の ドリーさんのレビュー

 村上小説の登場人物は総じて、もういちいちなにかしゃべるときは、気の利いたこと、おしゃれな比喩を言わないとすまない性格だと肝に銘じたほうがよさそうです。

 みたいな部分である。

 

ちなみに海辺のカフカの話の内容を一言で言うと、「田村カフカくんが世界一タフな15歳になるまでの成長の物語」だ。

田村カフカ少年は家族に恵まれず居場所がなく、ある日東京から家出して高松に辿り着き、そこでいろいろな人物と出会い、さまざまな人間の生き方に触れ、自分の中の課題と戦い抜き、まっすぐ前を向いて歩けるようになろうともがく。

 

そんな彼の、そして誰しも一度は直面するような精神の内面の動き・変化の過程を、

村上春樹的なさまざまなメタファーや観念を用いて普遍的に描いたもの

それが『海辺のカフカ』なのではないかな。

 

 『海辺のカフカの普遍性/超普通なところ』

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2015/12/04
  • メディア: ペーパーバック
 

の方になるが、ドリーさんの言うところの読者の「すれてないコメント」っていうのは、『海辺のカフカ』と共通してここのところなのではないかと思われる。

 作品にちりばめられたメッセージ(中略)とかも、なんというか鼻息で一掃したくなるようなしろものだし。なにが面白いんだろうと思ってアマゾンで星5のレビューとか読んでみたら、けっこう「自信をもらいました!」っていう感想が多くありまして、意外に多崎つくるという主人公に感情移入している人が多いことに気づくのです。

個性のない、なんのとりえもない、そんで自信がもてない、自己評価が異様に低い、こういう人は世のなかにたくさんいますし、この小説を読んで主人公に同化して「よっしゃ、なんか自信出てきたわ」ってなる人は、それはもちろん悪いとは言いませんが、

 この部分だ。

 

カフカ少年は明らかに普通ではない経験をしている。

なんなら観念の世界であの世みたいなところに行っちゃってるし、幽霊も見えちゃってるし。*1

 

それでも、彼が直面する内面の壁と、上手くいかない自分自身の弱さは、きっと普遍的なものだ。

ちょうど彼とシンクロした読者は「元気が出てきた・自分ももっと頑張れる」みたいな感覚になるのではないかと思われる。

 

そういえばトイアンナさんが、ヤリチンの部屋に高確率で村上春樹作品があるって書いてたっけ。

女性をモノ扱いするチャラ男の部屋には村上春樹の本が置いてある不思議 - トイアンナのぐだぐだ

なんか関係あるのかな。

 

閑話休題

 

だから彼は、とっても普通なのだ。ひいては村上作品の登場人物たちは、きっと。

例外はあれど、主人公を取り巻く人・もの・出来事、全てはメタファー。観念の隠喩だ。

海辺のカフカでそれがわかりやすく出ているのは、エディプス・コンプレックスのメタファーの部分だ。

観念の中で、内なる彼は父を殺し、母と姉のメタファーを犯し、そして一人前の15歳へと成長していったのだ。

 

 おわりに

だから、海辺のカフカは書いてあることは難解で観念的でも、超普通/普遍的な小説だった。

 

彼が経験した出来事は、全ての人々が直面する普遍的な内面の揺れと回復のプロセス、それはアイデンティティの拡散と自我同一性の確立なのだ。

 

余談ながら、話は最初に戻るのだけど以前(最初に引用したエントリで)私が書いた

「ありえない(明らかにファンタジーな)」設定から入る小説なら、その後の話もファンタジーとして捉えられる。しかし、この本に関しては 「ありえそうな」 設定から 「ありえない」 展開や人物の行動に入っていくので、そこにチューニングする段階で私は躓いたと今ならわかる。
最初からすっと受け入れられる人も多くいるようだが、きっと私とは頭のつくりが違うのだろう。

というのは半分不正解で、つまるところ前作から徐々に慣れていっての『ノルウェイの森』ならきっとすんなり読めるのだ。

 

いきなりそこから入るとクセが強すぎて拒否反応を起こしやすい、といったところなのだろう。

 

ちなみに春樹氏の新作である『騎士団長殺し』の主人公は、なんと巨乳恐怖症とのことである。

非常に楽しみにしている。

 

文庫本化されたら買ってみようかなと思うくらいには、私は春樹作品が好きになっているみたいだ。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2017/02/24
  • メディア: 単行本
 

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合わせてどうぞ

 

 

*1:(役割を終えた人間は死に、彼の中でメタファーとして昇華されていくのだ)

京都の大文字焼きを犬文字焼きにしようぜ!/鴻上尚史 『8月の犬は二度吠える』

鴻上尚史『八月の犬は二度吠える』書きだし部分のこの感覚は、京都で大学生活を送った人間なら共感できると思う。

新幹線が京都駅のホームに滑り込むと、いつも、身体の奥が震え始める。

この街で生活したのはもう二十年以上も前なのに、ホームに一歩足を踏み出すと、身体の深い部分がざわつく。

私にとっても大学4年間を過ごした京都は特別な場所で、学生時代は長期休暇終わって実家から京都に戻ってくるたび友達と、地元の駅より京都の下宿の最寄り駅に降りたときの方が「帰ってきた」って感じがするよね、なんて言いあったものだった。

 

京都の大きいイベントなら、祇園祭と並んで大文字焼きこと五山の送り火でしょう。

私も船岡山に登って何度か見たものだけど、 別名大文字焼きの、この行事を中心にした小説で思い浮かぶのは、鴻上尚史『八月の犬は二度吠える』だ。

八月の犬は二度吠える (講談社文庫)

八月の犬は二度吠える (講談社文庫)

 

内容は、一言で言うと学生(浪人)時代を同じ京都百万遍の浪人寮で過ごした男6人組が、24年の時を経て京都に集い、若さの至りで計画し一度潰えた「大文字焼きに点を足して犬文字焼きにする」という「八月の犬作戦」を実行するというもの。

 

一見アホなことをしているので万城目学

鴨川ホルモー (角川文庫)森実登美彦

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

に代表される京都の大学生の青春の系譜かのように見える。

しかしそれらがリアルタイムの学生時代を書いているのに対して、『八月の犬は二度吠える』はその青春が完全に過去のものとして描かれている。

 

 この小説においてリアルタイムなのは浪人(大学)生を終え、就職し、それぞれの人生を歩んだ24年後の現在だ。京都での日々は取り返せない、終わったものとして描かれている。

 

それぞれ順風満帆な、あるいはうまくいかない人生を経てくたびれた中年になった彼ら。

 

 24年ぶりに当時のメンバーを招集した、いつも皆の輪の中心にいた長崎は末期ガンで余命半年。

統率を任された山室は口をろくにきかなくなった子どもを抱えて虚しさを感じており、スポーツマンだった伊賀は30kg太って生え際が後退している。

関口は当時の面影そのままにオッサンになり出世し、大文字焼きに手を加えるという犯罪を犯せない立場に。

太っていた吉村さんはすでに120kgを超える巨漢になり、医学部に落ちて実家から勘当され独りうらぶれた生活。

計画の技術担当だった京大工学部卒の久保田は、就職に失敗したのち精神のバランスを崩して家から出られなくなり、薬の副作用で人格も面相も変わりきっている。

八月の犬は二度吠える (講談社文庫)

八月の犬は二度吠える (講談社文庫)

  • 作者:鴻上 尚史
  • 発売日: 2014/07/15
  • メディア: 文庫
 

東京で働いていた山室は長崎の最期の願いである「八月の犬計画」と当時のメンバーの再結成とともに長崎に依頼されるのだが、長崎の命の期限までに実行できるのだろうか?

 

青春時代と違い、社会的な立場や世間体を抱えた当時のメンバーを集められるのか。実行することによる犯罪性(京都文化財保護条例に抵触)はどうするのか?

 

 彼らの心に影を落とした、計画が潰れる原因となった事件を山室は乗り越えることができるのだろうか?

 

 …というこの小説でグッとくるのは、若く人生に何も負うところがなかった浪人生時代と、中年になった現在の彼らとの対比だ。

 

分量としては学生時代の方が多いのだけど、明かされてくる当時の6人の現在に、徐々にアホな浪人生時代のエピソードの部分がなんとも哀しい、ある種のノスタルジーを帯びてくる。

 

 人生の中のそういう時間って、一種の幻想として誰もがもっているものなんじゃないかな。

 

それはたとえば、プロレスごっこに熱狂して大事に至りかけた浪人生時代だったり、全員で夜な夜な女子寮の「観測」に明け暮れた日々や、下宿に親がくるからと必死でエロ本を隠したり、全員で集まってインスタントラーメンを食べながら語り合ったり、賀茂川の両岸からロケット花火を打ちあって警察に追われた夏なんかが。

 

話の進行の中で、かつて計画が潰えて6人組が分解したのは中心の事件とともにそれぞれが胸に秘めた思惑なんかが絡んで徐々に明らかになってくるのだけど、五山の送り火という行事のもつ「魂を送る」という意味合いが話の中心なのでしょう。

 

 

京都の夏や大文字焼きに想いを馳せる際には、ぜひ読んでみほしい。

冒頭のようにさきっとまた京都に行きたくなるし、大人のノスタルジーを感じられる一冊だと思うから。

 

 

京都の青春小説はここに一度まとめました。合わせてどうぞ

 

 

 

 


美人に比べてイケメンが少ないのはなぜなのか/茂木健一郎 『化粧する脳』

「美人や可愛い女って多いけど(それに比べて)イケメンは少ない」


定期的にこんな話を見聞きしている。
私も実際、容姿が一定値以上の女性より一定値以上の男性は少ないと思う。
やっぱり女性には化粧があるし、美容に対する意識は間違いなく女性の方が高い。


実感としても「自分の見た目を気にしない」人間というのは、女性より男性の方が多い。
これはつまり、「見られること」に対する意識の差があるのだろうと思う。

「顔が変わる」ことによる人生の違いがテーマの漫画もたくさんあるが、やはり主人公は女性が多い。

累(1) (イブニングコミックス)

累(1) (イブニングコミックス)

他人の顔を乗っ取る口紅を手に入れた不細工な女の子の話『累』


愚者の皮 (上) (ぶんか社コミックス)

愚者の皮 (上) (ぶんか社コミックス)

貧乏な生まれから玉の輿に乗った心の綺麗な美女が、事故で麻痺した顔面を整形する。ヤブ医者にかかり失敗し、見るも無惨な顔になり人生が転落する話『愚者の皮』

どちらも、本人の中身や性格は変わらないのに、顔が変わることによって周囲の評価が変わることがテーマだ。




なぜ男性には、美容や自分の見た目に対する意識が女性ほど育たないのか?


そこを脳科学と生物の進化の点から書かれているのが脳科学茂木健一郎『化粧する脳』である。

化粧する脳 (集英社新書 486G)

化粧する脳 (集英社新書 486G)

そしてこれは「女子のいうかわいい娘と男のいう可愛い娘が違う」問題とイコールだと思う。
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この画はまさにそれを表している。
(元ネタがどこかわからないので、とりあえずネオニュース☆からお借りした)


『化粧する脳』を参照しながら「美人よりイケメンが少ない問題」と「男子と女子のカワイイが違う問題」について考えてみる。

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見た目の美は有利に子孫を残すため?

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人間は女性の方が容姿の美を追求する傾向があるのだが、一方で、鴨やクジャクはオスの方が美しい色の羽を持っていてメスの方が地味だ。

美しい尾羽は良くも悪くも目立つ。
外敵に狙われやすくなる=死の確率が上がるからだ。

そのリスクと引き換えにしてもオスたちが手に入れたいものは何かというと、それは繁殖の可能性である。

より形の整った、美しい羽をもつオスがメスに選ばれて子孫を残す可能性を得、それが有利な形質として遺伝していく。

この場合、クジャクやカモはオスが選ばれる立場だ。
人間だと、これが逆転する。

この例のクジャク同様に女性が容姿を磨くことになる。

選ばれる方が美しくないとダメ

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生存戦略にはおおまかに分けて能動と受動の2通りの方法がある。

「力」で生きのびる方法と、「美しさ」で選ばれて生き残る方法

人間に当てはめると、男性は社会的地位や権力・金などを求める傾向がある。

そもそも美は権力と結びつきやすい。
金持ちになると古今東西、美男美女を身辺に侍らせたり美術作品を収集するなど、力をもったものは珍しい美を求めがちだ。


強い性に選ばれる側になると、美を磨くことがより有利に生き残る戦略となる。
女性は一般的に選ばれる側であり、美を磨くことは生存戦略として有効になる(=美人が増える)
男性は、選ぶ側として権力や金を追求する。

男性脳と女性脳の違いが差を生みだした

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男性脳は、一般的に論理思考に強く、女性脳は共感能力に優れているといわれている。


男性脳は抽象・論理思考が強く、システム構築に優れている。
また男性は、一般的に選ぶ側の性(そうだと思いこんで)を生きている。

ともするとそれは受動的な、影響されやすい生き方に対することへ危機感を覚えがちらしい。
つまり「他者に同調して自分を変えること、他社の視線を気にして自分を認識すること、自分が変わってしまうこと」に対して危機感を覚えがちだという。

だから男性は化粧に対して抵抗がある人が多いのではないだろうか。


女性は、一般的に情緒が豊かで共感性が高いということになる。

女性は選ばれる側の性として、見られることの欲望をみずからの報酬として、化粧する。

女性の方が対人関係を意識して生きやすく周りの人と同調し、他社の視点を自己の成り立ちに反映させることを大事にしながら、社会と折り合いをつけて生きていこうとする傾向があり、「見られること」に対する意識が高い。


女性は特にコミュニケーションの取りやすさや周囲の価値観の同調を表した顔を「美人(カワイイ)」と認識しやすいというところで、再び「女子のかわいいと違う問題」に入る。

改めてこの絵を見てほしい。
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左の女子がカワイイと思う女の子が表しているのは、つまり「協調性が高い」と「コミュニケーション/表情の豊かさ」だ。

男性の可愛い(美人)は、ほぼ化粧もせずに髪も束ねただけ、服装もTシャツを着ただけ。
注目されるのはその顔の造形であり、誰もが美人と認める顔立ち
であることだ。

まとめ

●女性はまだ選ばれる側の性別という世間の認識があるため、選ばれるために見た目を整える人が多い

●女性脳にくらべて男性脳の方が「他人に合わせて見た目を変えること」に対して抵抗感が大きい。
女性の方が、化粧や服装など見た目が変わることに対して抵抗が少ない


美人に比べてイケメンが少ないことの理由を、『化粧する脳』から考えてみた。

化粧する脳 (集英社新書 486G)

化粧する脳 (集英社新書 486G)


美人が実は平均顔という有名な仮説があるが、それは、「多数の人にとって親しみやすく、感情豊表現が読み取りやすい顔」ではないかと。
ここで重要なのは、全てのパーツが平均値に近いということ。


だから、化粧は主に口や目を強調するものになる
目や口は、感情を最も読み取りやすいパーツだから。


美というものは、案外相対評価だったりする。「みんながそれを良いというから」という理由で、価値が高くて珍しいから欲しくなるという感じ。


そして、男性脳と女性脳の違いが見た目に出るから、男性と女性の「カワイイ」は違うのだ。

累(1) (イブニングコミックス)

累(1) (イブニングコミックス)

愚者の皮 (上) (ぶんか社コミックス)

愚者の皮 (上) (ぶんか社コミックス)

しばらく本を読まないとどうなるかっていう話/恩田陸『ピクニック』

最近、就職しました。

就職するとどうなるかっていうと、忙しくなって拘束時間も増えるし疲れるし、つまり本を読む時間が圧倒的に減った。

 

今は、恩田陸夜のピクニックを読んでいる。

夜のピクニック(新潮文庫)

夜のピクニック(新潮文庫)

 

主人公の友人の男子高校生が、

「中学生のとき

ライオンと魔女―ナルニア国ものがたり〈1〉 (岩波少年文庫)

を教師である従兄弟に勧められたが興味がなくて読まず、後になって読んで後悔した」

みたいなエピソードがあってこう言っているのだけど、

十代の入口で読んでおくべきだった。そうすればきっと、この本は絶対に大事な 本になって、今の自分を作るための何かになってたはずだったんだ。

私も彼同様、「しまった」と思った。

中学生か高校生か、せめて大学の前半で読んでいた ら、この本は「大事な一冊」になったはずだったのに。

 

それで今日、久々に隙間時間とかでなく純粋に本を読む時間をつくっていて、なんだかほっとした。

自分が戻って来るような感覚。

 

てことは、今ちょっとまずい状態なんだな。

 

私はずっと欠かさず本を読んできたので、読むということがおそらく自分の1つになっている。

本を一定期間まともに読まない生活が続くと、次第に人生が全体的に不調になってくるのだ。

この「なんとなく不調」というのが厄介で、「じゃあ本を読んでないからだ」とか気づけない。なんとなく不調。

 自分が分離している感覚。

 

前の会社のときもそうだった。

月3日の休みで毎日16時間労働の超絶ブラックだったので、本を読むなんて全く無理。気づくと、なんだか極度に自分がない状態になっていた。

 

もちろん、この場合原因は労働環境のせいである。そしてそこを辞めて、また本を読み出したとき、「自分が戻ってきた」という感覚になった。

 

話は戻るが、今日本を読んでいて「自分が戻ってきた」と感じた訳で、つまりまたちょっと危ない状況になりかけていたらしい。

 

自分がないというのがどういう状態かというと、まず、何かに対して自分の考えが限りなく薄くなる。何も思いつかない。思考力が落ちる。視野が狭くなり、余裕がなくなる。

 

これらはもとから私がもっている性質だけど、何というか、悪いところが増幅されていいところを覆い隠してしまう感じなんだ。

 

おそらく私は一人の時間がかなり大量に要るタイプな上コミュニケーション力も高くないから、他人と一緒にいることが少ない。普段から自分自身と向き合う時間を多くとりすぎてきたのかもしれない。

だからそれらがなくなったとき、自分がブレて不安定になるんだろう。

 

とりあえず、今日はブログを開設してちょうど1年らしい。

なんにせよ、今の会社はホワイトだ。慣れたら、読書とブログとの折り合いをつけていけたらと思う。

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

  • 作者:陸, 恩田
  • 発売日: 2006/09/07
  • メディア: 文庫
 

 

夜のピクニック

夜のピクニック

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video