読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

読書系フリーターの日常

ブラック企業を新卒半年で辞めた読書好きフリーターがいろいろ考えています。契約社員になりました。

『海辺のカフカ』 はとても普遍的な小説だった

 

1年半くらい前に急に村上春樹が読めるようになった。

 

私はもともとノルウェイの森から入り、上巻半ばで挫折したクチである。

その読めるようになったプロセスについては以前書いた。

quelle-on.hatenadiary.jp

 

春樹リベンジのきっかけになったのが、チェコ好きさんのこの記事だった。

aniram-czech.hatenablog.com

まずノルウェイの森から入った人は村上春樹を嫌いになりやすい。」

そしてその理由の分析・考察。

でも、「ノルウェイの森村上春樹作品の中でもイレギュラーなんだ」、と。

 

要点を抜くとこんな感じの内容である。

 

その後、

Letter from Kyotoの川添さんとお話させていただく機会があって、

 

村上春樹は、もともと外文にインスパイアされているから、初期作品は

登場人物の独特の口調は英語的な表現からきている。今の作品と初期作品は違うので、初期作品から入った方が読みやすいのではないか」(大意)

 

みたいなことを確か聞いて、ああ、それでか・・・と妙に納得し

どれどれ、と先日春樹氏のデビュー作である風の歌を聴けを読んでみたのである。

 

・・・なるほどね。

外国語の雰囲気が現在より強く、納得できたと共にそう捉えると読みやすかった。

翻訳調が強すぎて途中まで日本を舞台にした話だと気づかなかったくらい。

 

だから、村上春樹の小説の登場人物たちはあんな独特の(ともすれば、いやに気取った感じにも聞こえる)喋り方をしてるんだな。

 

そして、『海辺のカフカ

 

風の歌を聴け』の次に読んだのが、海辺のカフカである。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 

 

全然読めた。むしろ面白くて一気に読み切ってしまったくらい。

 

読む中で前述のチェコ好きさんのこの言葉が、間違いなく道しるべになっていた。

 ほとんどの村上春樹の小説には、この『象の消滅』のように、不可思議なことが起きたり、実在しない奇妙な生き物が登場したりします。われわれ村上肯定派の人間にとっては、こちらのほうがスタンダードです。つまり、彼の小説は“ファンタジー”であり、“シュルレアリスム”なんです。*1
リアリズムを追求した小説では、ないんです。  

 全くもって、その通りだった。

 

 海辺のカフカ は、非常に観念的な小説だと思う。

 

一応は主人公である田村カフカ少年の「現実」は一本の軸として存在するも、夢やファンタジー的な世界の話が同時並行して進められ、徐々に彼の世界へ侵食し混ざり合い、そしてまた一つの現実に収斂するようなストーリーだ。

 

登場人物は揃いも揃って、例によって、やけに哲学的な表現をしたがる

(ある部分では「メタファー」という言葉が出てきすぎてゲシュタルト崩壊しかけた)。

もっとも、この小説自体がいろいろな観念のメタファー(隠喩)であるのだろうけれども。

 

例えば、『色彩を持たない多崎つくると(略)』の春樹いじりレビューで一躍有名になったドリーさんの言葉を借りれば

Amazon.co.jp: 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の ドリーさんのレビュー

 村上小説の登場人物は総じて、もういちいちなにかしゃべるときは、気の利いたこと、おしゃれな比喩を言わないとすまない性格だと肝に銘じたほうがよさそうです。

 みたいな部分である。

 

ちなみに海辺のカフカの話の内容を一言で言うと、「田村カフカくんが世界一タフな15歳になるまでの成長の物語」だ。

田村カフカ少年は家族に恵まれず居場所がなく、ある日東京から家出して高松に辿り着き、そこでいろいろな人物と出会い、さまざまな人間の生き方に触れ、自分の中の課題と戦い抜き、まっすぐ前を向いて歩けるようになろうともがく。

 

そんな彼の、そして誰しも一度は直面するような精神の内面の動き・変化の過程を、

村上春樹的なさまざまなメタファーや観念を用いて普遍的に描いたもの

それが『海辺のカフカ』なのではないかな。

 

 『海辺のカフカの普遍性/超普通なところ』

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)
 

 

 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 の方になるが、ドリーさんの言うところの読者の「すれてないコメント」っていうのは、『海辺のカフカ』と共通してここのところなのではないかと思われる。

 作品にちりばめられたメッセージ(中略)とかも、なんというか鼻息で一掃したくなるようなしろものだし。なにが面白いんだろうと思ってアマゾンで星5のレビューとか読んでみたら、けっこう「自信をもらいました!」っていう感想が多くありまして、意外に多崎つくるという主人公に感情移入している人が多いことに気づくのです。

個性のない、なんのとりえもない、そんで自信がもてない、自己評価が異様に低い、こういう人は世のなかにたくさんいますし、この小説を読んで主人公に同化して「よっしゃ、なんか自信出てきたわ」ってなる人は、それはもちろん悪いとは言いませんが、

 この部分だ。

 

カフカ少年は明らかに普通じゃない経験をしている。

なんなら観念の世界であの世みたいなとこにも行っちゃってるし、幽霊も見えちゃってるし。*1

 

それでも、彼が直面する内面の壁と、上手くいかない自分自身の弱さは、きっと普遍的なものだ。

ちょうど彼とシンクロした読者は「元気が出てきた・自分ももっと頑張れる」みたいな感覚になるのではないかと思われる。

 

そういえばトイアンナさんが、ヤリチンの部屋に高確率で村上春樹作品があるって書いてたっけ。

女性をモノ扱いするチャラ男の部屋には村上春樹の本が置いてある不思議 - トイアンナのぐだぐだ

なんか関係あるのかな。

 

閑話休題

 

だから彼は、とっても普通なのだ。ひいては村上作品の登場人物たちは、きっと。

例外はあれど、主人公を取り巻く人・もの・出来事、全てはメタファー。観念の隠喩だ。

海辺のカフカでそれがわかりやすく出ているのは、エディプス・コンプレックスのメタファーの部分だ。

観念の中で、内なる彼は父を殺し、母と姉のメタファーを犯し、そして一人前の15歳へと成長していったのだ、つまるところ。

 

 おわりに

だから、海辺のカフカは書いてあることは難解で観念的でも、超普通/普遍的な小説だった。

 

彼が経験した出来事は、全ての人々が直面する普遍的な内面の揺れと回復のプロセス、それはアイデンティティの拡散と自我同一性の確立なのだ。

 

余談ながら、話は最初に戻るのだけど以前(最初に引用したエントリで)私が書いた

「ありえない(明らかにファンタジーな)」設定から入る小説なら、その後の話もファンタジーとして捉えられる。しかし、この本に関しては 「ありえそうな」 設定から 「ありえない」 展開や人物の行動に入っていくので、そこにチューニングする段階で私は躓いたと今ならわかる。
最初からすっと受け入れられる人も多くいるようだが、きっと私とは頭のつくりが違うのだろう。

というのは半分不正解で、つまるところ前作から徐々に慣れていっての『ノルウェイの森』ならきっとわりとすんなり読めるのだ。

しかし、いきなりそこから入るとクセが強すぎて拒否反応を起こしやすい、といったところなのだろう。

 

ちなみに春樹氏の新作である騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編の主人公は、なんと巨乳恐怖症とのことである。

非常に楽しみにしている。

 

文庫本化されたら買ってみようかなと思うくらいには、私は春樹作品が好きになっているみたいだ。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

*1:(役割を終えた人間は死に、彼の中でメタファーとして昇華されていくのだ)