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読書系フリーターの日常

ブラック企業を新卒半年で辞めた読書好きフリーターがいろいろ考えています。契約社員になりました。

若布酒まちゃひこさんと読書ブロガーオフ会してきた

雑記 読書

 

bibibi-sasa-1205.hatenablog.com

カプリスのかたちをしたアラベスク若布酒まちゃひこ(びんた)さんと先日お茶してきました。

彼が話した本の内容について書くならば(小説にゆるされる偶発/小説「砂の女(安部公房)」)、私は普通にオフレポ(?)を書いてやろうと思う。

発端はまちゃひこさんが8月はオフ会してくぞ、的な発言をされていたので乗っからせていただき、読書やブログや全然関係ないしょーもないことをさんざんダベり散らして帰ってきました。

 

さて、京大理系卒、アニメや読書についてかなり理論派な考察を書かれているまちゃひこさんがこちらです。

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なにそのTシャツ。

 

会うにあたって

 せっかくお互い読書ブログをしてるので、本を持ち寄ってそれについてお話しましょうよ、という話になって、持ち寄ったのがこちら。

グレッグ・イーガンディアスポラ

安部公房砂の女

・自分の好きな本

まちゃひこさん:エイモス・チュオーラ『やし酒飲み』

やし酒飲み (岩波文庫)

やし酒飲み (岩波文庫)

 

 私:泉鏡花『海神別荘』

海神別荘・他二篇 (岩波文庫)

海神別荘・他二篇 (岩波文庫)

 

 読書の話

 『ディアスポラ

は、まちゃひこさんに難解だから!と以前勧められて読んでいたのだけど、ガチでハードすぎるSFゆえ難解すぎて一日10pくらいしか読めないため、半分読むのに一か月以上かかっていて、まだ読了していません。

あらすじを書こうにも本当によく分からない。

1行に一回ペースで何のことかわからない理論や用語が出てくるため、わからないの連続がストレスで読み進まない、という話をしたところ、まちゃひこさんは「わからないということそれがいい」というようなことを言っていました。

 

あとは、好きな章とか。私は「ガンマ線バースト」。まだわかりやすくて一番話が見えるし、地球人との認識の隔絶とか価値観の絶望的な違いとかの描写が面白かったから。

 

砂の女

は、まちゃひこさんがすでに詳しく書いておられるのですが(小説にゆるされる偶発/小説「砂の女(安部公房)」 - カプリスのかたちをしたアラベスク)、さっぱり理解できなかったものが、話しているうちに自分の中の考えが固まってきた感がありました。

 

そもそも初読では読んでいる最中から何を伝えたい話なのかよくわからなくて、この砂とか女とか集落とかが何かのメタファーなのか?と考えながら読んだらあっさり何事もなく終わってしまい、拍子抜けしたという感想。

 「砂の女」では、「砂」というもののイメージを科学的(あるいは辞書的)な意味からはじめ、そこに女の生活と経験によるイメージがぶつけられることによ り、「砂」というものの意味が解体される。そして、「砂」というものに対しての一意的なイメージを喪失した状態で、男は女との生活を経験する。テクスト化 された生を生き直すことで、その世界でのみ機能するとくべつな「砂」のイメージを得ることができる。

まちゃひこさんがこう書かれているのだけど、最初砂は男の中では辞書的な意味しかまたない、自分の実感として存在しないものだった。

一方、女は砂の中で生きており、砂は生活の一部で、ある意味女性的な感性で「生きたもの」だった。

男が女と生活するようになり、砂に辞書的な意味を残しながらも生活と結びついたものとして捉えるようになった。

 

違う人が言っていたけれど、それはもしかしたら理解しがたい異質なものを自分の中に受け入れていくプロセスなのかもしれないのです。

 

題字に

ー罰がなければ逃げる楽しみもないー

とあるのですが、

彼の生活は結局どこにいっても同じ。砂の集落以前も不満を洩らしながらうまくいかない生活を送っていた。そこから逃避してきた砂の集落に来てからも、不満を洩らしながらうまくいかない生活を送っていた。そこから逃げようとしていろいろ試したが、いざ逃げられるとなると逃げなかった。

どこへ行っても結局同じ、ということを砂の中で彼は見つけて、人生として受け入れたのだろうか。

 

まちゃひこさんとお話をしていて、そんな風に解釈しました。そもそも解釈とかいらないんですかね。

好きな小説

お互い持ち寄った本についてはあまり話をしなかったけれど(趣味が違いすぎた)、翻訳小説の歪さ、面白さとか。そんな話になりました。

まあでも、京大理系卒のまちゃひこさんと数学の偏差値28の私が好きな本について会話してかみ合う方がないだろうと思う。

『やし酒飲み』は、アフリカ人が不慣れな英語で書いた小説を日本語に翻訳した、というなかなかに面白そうな(?)小説らしい。

『海神別荘』は何度も書いているけれど、日本語の表現と音感の美しさを極めた作品だと私は思っている。

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好きな小説とは若干離れるけれど、お話していて思ったことはそもそも小説の捉え方が違うということ。

 

私は小説を書かないし、まちゃひこさんは小説を書く。

私は意図が込められ隅々まで計算されたものを美しいと感じる人間だし、既存の価値を壊したりそれに挑んでいくのではなく、既存のものを緻密に組み合わせて違うものを作り上げている作品は何であれ好ましく感じると思う。

彼は、むしろその逆だろうか。偶発的な意図については、引用エントリに書かれている。

 

私は本を開いたページの中の字面というか、文字情報の列の中に広がる世界を小説だと捉えていたけれど、まちゃひこさんは「本」全体のそのレイアウトまでを小説(表現)と捉えているのかな、と思いました。

お話を聞いていて初めて知ったけれど、本当にそういうところの小説とか表現とか、私がみてきたいわゆる文字が規則正しく並んでいるだけの世界の外はいっぱいあるんだなと思った。

 

つまり、私は舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。とかは読めない。

ブログについて

他にも気になってるブロガーさん、読書ブログでPVを稼ぐにはどうすればいいか、はてなの最近気になることなどを議論したけど、こっちはわりと価値観が合う。読書ブログはマネタイズと検索特化まとめ以外の案はまだ出ていない・・・。

 

 

以上。お話させていただいた本はこちら。

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 
ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)