読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

読書系フリーターの日常

ブラック企業を新卒半年で辞めた読書好きフリーターがいろいろ考えています。契約社員になりました。

本は「読むだけで実行できなきゃ意味がない」 ?

f:id:quelle-on:20160119002149j:plain

 私は、その意見を発信する側を除き、「ただ本を読んだだけで結果(もしくは行動など)が伴わなければ意味がない」という意見は、勉強が苦手な中高生の言う「どうせ勉強しても無駄だし、オレ数学なんて一生使わないからいいもーん」とかと正直同じだと思っている。(かくいう私も数えきれないほど言ったことがある)

 

元塾講師として断言するけど、そういうこと言うヤツは間違いなく目先のテストしか見ていなくて、この先の人生とか学生生活とかのロングスパンでは考えていないのである。

1ヵ月先のテストに対してなら受験で数学は選択しないと決めているとか、それならそのテストなり受験勉強なりに対して不要との判断を下しても(場合によっては)良いかもしれない。

 

しかし、そもそもその勉強はなんのためにするんだという話。

 

それはひとつには人生で出会うさまざまなことへの、そして自分の人生における分岐の可能性に対しての基礎をつくる意味なんかが含まれているでしょう。

必修の分野は生活の各部分の土台となる考え方だからこそ、国をあげて教えているのであって。自分の一生を考えると、「勉強が無駄・勉強しなくていい」なんて言えないはず。

 

たとえばだけど、この先就職したら仕事で数学が全く不要とかなかなかないぞ、と。

 いざ必要になったときに多少なりとも知識があるのと、ゼロから始めるのとではチャンスや進度にかなり差がでるはず。*1

 

 そして賢明な社会人の皆さまはこんなことよくよくお分かりのはず。

それなのに、こと読書に対しては何の意味もない、と短絡的に判断してしまうのはどういう了見なんだろう。

 「意味がない」とは

さっきの話を読書でいうと、「一か月後までに●●という結果を出そうと思い、この本を読んだ。しかし結局行動に移せなかった」(=1ヵ月後のテスト)というのは1ヵ月後に出そうと思っていた結果に対しては意味がなかったと言ってもいい。

しかしながら、たとえが不謹慎なのは承知であるが、そのとき「なんの意味もなかった」と言っていいのは一ヵ月後に間違いなく死ぬ人だけであると思う。それでも広義では無駄ではなかったと思うのですが。

 

大抵の場合、その本を読んだ後も人生は続くでしょう。その今不要と判断した知識が今後必要な場面に出くわす可能性は普通にある。

 

ところで、鶏鳴狗盗(鳥の鳴き真似、犬のようにこそこそ盗みを働く)という四字熟語がある。

この四字熟語は、中国の春秋戦国時代に人を重宝し食客を多く抱えたことで有名な孟嘗君が策に落とされ殺されんとしたときに、周囲に反対されながらもたまたま世話をしていた鶏の鳴きまねが上手いくらいしか能のない食客の鳴きまねと、コソ泥野郎の食客の能力によりピンチを免れたという話があるのです。

故事成句でたどる楽しい中国史 (岩波ジュニア新書)

故事成句でたどる楽しい中国史 (岩波ジュニア新書)

 

※ ↑ 参照

どんな技能や知識でも重宝して自らに役立てた孟嘗君のエピソードであり、熟語の意味は全く役に立たないもの、くだらない技能を持つ人/もしくは、そんな使えないものでも役に立つことがあるということのたとえ。

主観で判断せずにどんなものでも知識としてストックすることで、それが思わぬところで役に立つということを昔の人は伝えたかった。それを知った後の人も、それを次の世代の人に伝えようとした。そうして2000年以上過ぎた今日まで伝わってきた教訓。

 

それを踏まえて話は戻るけれど、たとえサラッと読んでしまった本の内容は全く覚えていなくても、いざ必要となったときに「そういう本があった」と思いだせるだけでも知識として蓄積されたということにはならないのだろうか。

人生は何が起こるのかわからないのだから、今このタイミングにおいては不要であったという事実があるのみ。

 

行動に移せないと意味がないと言われる最たるものは自己啓発書だけれど、それだって行動に移せなかったことを人生のどこかの局面でもう一度やってみる気になるかもしれないし、その本の内容が必要な局面が人生でいつ訪れるやとも知れない。

少なくとも、その本のような考え方がこの世の一部を占めていると学べることのどこが無駄でしょうか。

 

最低でも世界がちょっとだけ広がって、あと話のタネにはなりますよ、と。

 

今のあなたには必要なかったかもしれないけど、5年後に必要になって今度は実行できるかもしれないし、読み返す日が来るかもしれないよ、と。

まとめ

自分の人生を見越して勉強を無駄と言い切る大人は少ないのに、同様の効果を期待できる読書を結果だけ見て意味がないと言い切る大人が多いのは変だな、ということをふと思って。

つまり、読書だって「意味があるかないかは一生スパンで考えよう」です。

もっとも、あらゆる情報や技能の取得には同じことがいえると思うのだけど。

 

もっとも、この記事に対する言葉は「時は金なり」なのだろうということは想像がつきます。でもやっぱり、意味があったかどうかは現在の自分自身には判断不可能だと思うのです。

 

 

※「結果を変えるためにそのツールとして読書する」などの場合はまた別ですので。そこでうまくいかないのは方法論かツールの選択が間違っている可能性の方が高いと思います。

 また、その「無駄」という情報を発信する側はいろいろな思想や経験があってのことでしょうから、今回の話には含んでいません。

 

読んだ本が関係ないところで活きてきた話↓

quelle-on.hatenadiary.jp

 

*1:もちろん、明確に目標があり他に時間を割くために捨てるとか、何らかの理由でしんどいからやめる、とかは全然OKだしすべき判断であると思う。無理になんでもできるよう強制するのは反対です。