読書系フリーターの日常

ブラック企業を新卒半年で辞めた読書好きフリーターがいろいろ考えています。契約社員になりました。

読書案内文を書くならお手本にしたいプロの技/田口ランディ『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』

最近、『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』を読み返して感動した。
これは田口ランディのコラムを一冊の本にした形なのだが、何が感動したって読書紹介文の巧さに感動したのである。

もう消費すら快楽じゃない彼女へ (幻冬舎文庫)

もう消費すら快楽じゃない彼女へ (幻冬舎文庫)

 
もう消費すら快楽じゃない彼女へ

もう消費すら快楽じゃない彼女へ

 

 私のブログは、基本は読書案内のつもりでいる。

読書系のブログの区分についてはこちらを参考にさせていただいている)

yuki3mori.hateblo.jp


ブログを始めたきっかけも、誰かが「アテはないけれど面白い本を読みたい」と思ったときに、何か参考になるようなものを書きたいと思ったからだ。


で、案内文を書くからには『読みたい』と思ってもらえるように書かないといけないのだが、これが難しい。最近ある程度ブログを書いてきて尚それを感じている。今回田口ランディの本とマンガについて書いている本を読んで、その文と構成の上手さに感動した。もちろん、興味のある分野の本でないにも関わらず、読みたいと思った。

 

そんなわけで、読書系の文章について何か思うところのある方々へお勧めしたいのが、田口ランディ『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』である。

読みたくなる紹介文とは何なのか

私が考えるに、読みたくなる紹介文というのは
1、内容の魅力をわかりやすく表現できていて
2、それに自分や他者の体験の裏付けがあって、そこに興味が持てて
3、その魅力に感じた理由を自分の価値観や体験で著している
ものである。


要するに、考え方や体験など書いた人に興味が持てて、その本を魅力的、薦めたいと思う理由に納得できて、なおかつその本の魅力を読みたいと思わせる形で表現しているということだ。
もし読んだ本の何かを良いと思ったなら、その「面白かった」と思う理由を徹底的に考え、その理由は絶対自分の経験や価値観の中にあるはずなのだから、それを見せてほしい。少なくとも、私はそう思う。

 

ではここで、本書より田口ランディの 白洲正子花にもの思う春ー白洲正子新古今和歌集について書いている部分の構成をまとめてみる。

著者が魅力的な人物であること、価値観や生い立ちを交えた魅力的と感じる理由
育ちが良く知性と教養を備えた著者、暴力を振るう漁師の父の元で貧乏に育った学歴もロクにない自分との対比

好きな部分、好きになったきっかけ
同じ『万葉集』の中の貴志皇子の短歌をあげていたこと

その好きだった短歌のエピソード
(もともと好きだったし、その短歌繋がりで付き合った男性がいた)

しかし一見なんでもない短歌だが、なぜ良いと思うのか?(問題提起)

白洲正子の知的で的を得た分析(問題の解決)

一見リンクしない自分の詩に関する、中学生の頃のエピソード
(初めて担任に文才を認められ目をかけられたのに、自分の詩は「あざとい」と言われ詩の授業で張り出されたのは別な女の子の詩だった。

張り出された詩の良さも、自分の詩をあざといと言われた理由も今までわからなかったが、白洲正子志貴皇子の短歌の素晴らしさに対する分析で過去の経験と全てが繋がってハッと納得した(再度問題の解決)

当本の読者体験によって起きた自分の中の変化、読後の素晴らしさ(結び)

本の魅力、著者の魅力、そしてそれを裏付けする自らのエピソードを挟みながら展開することによって、その本が素晴らしい理由も、書いている田口ランディ自身についても興味を惹かれた。この人がそこまで感じ入るところがあったのだし、そのような読書体験ができるのなら、読みたいと思った。

 

加えるなら、この文のすごいところはインパクトを与えて引き込む、いわば山となる部分を二重に用意している点である。
一つ目は、ずっと好きだったが理由がわからなかった短歌の素晴らしさが、紹介している本の(白洲正子の)素晴らしい分析によって解決・納得したところ。
二つ目は、それでこの話は終わったように見せかけて、一見関係なさそうなエピソードから過去と現在の自分の体験を、再度白洲正子の分析によって繋げているところ。

 

そしてダメ押しの、最後の方のこの一文。

突然に、白洲正子さんの言葉によって、全てが繋がった。とても素晴らしい読書体験だった。

こんなことがあるから、本を読むのをやめられないのだ。志貴皇子の歌、平石巌先生の宿題、あざとさの中で書けなかった屋久島の自然。繋がった。

 少なくとも読書家なら、こんな読書体験をしたいと思わないだろうか。

著者と紹介する本に対しての興味を引いて、魅力を表現し、しかも読みたくさせるような、この本が広げてくれる世界についても何度も混ぜ込んでいく。文句なく素晴らしい構成である。

 

以上、私にとって、これが今読書紹介文として至上と思えた田口ランディのコラムである。

もしかしたらそう思えたのは、私が文を書いた人と著者を引っくるめて本に対して興味を持つ人間だからかもしれない。

 

内容と著者について

田口ランディは、ネットコラムニストから小説家デビューした女性。

憧れて水商売をしてみたり、中学校の頃クラスメイトを数人集めて自分でゾロアスター教を信仰する集団を作ってみたり、心理学を勉強して占い師になってみたり、暴力を振るう漁師の父から逃げて新聞販売所に住み込みで働いてみたりと、かなり紆余曲折の人生を歩んできた人である。
この本の内容については3章構成で、主に


1章ー女性の自己実現と精神の闇について
2章ー社会問題と被害者と加害者について
3章ー新興宗教や精神世界のいろいろについて思うこと


のようになっている。今回私が書いたのは、2章にある一部分である。一応書いておくが、読書紹介をメインにした文ではない。
タイトルの「もう消費すら快楽じゃない彼女」が出てくるのは、1章の最初のコラム。

ちなみに、『ぼくの地球をまもって』というマンガの話もすごく良かった。プロだから当たり前なのは承知ながら、いちいち紹介が巧い。