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読書系フリーターの日常

ブラック企業を新卒半年で辞めた読書好きフリーターがいろいろ考えています。契約社員になりました。

ゆとり教育は成功した、とゆとり世代の私は考える

こんにちは。現在20代前半、ばっちりゆとり世代です。

hikarujinzai.hatenablog.com

この記事を見て、ゆとり世代的にはゆとり世代の短所のラベリングについてよう言ってくれた、と思ったのですが、これに乗じてゆとり教育についてずっと思っていたことを書こうと思いました。一般的なゆとり批判派の意見に向けて書いています。

※言及記事はさんざん使わせていただきましたが、全然違うことを書いています。すみません。

 

今更ですが、ゆとり教育、事実上終わってしまったけれど私は発想自体は悪くなかったと思っているので残念です。やり方が悪かっただけです。

ゆとりの批判の大半の大もとは教育者側の実施が不十分だった、ということだと思います。

でも、学校で言えばいきなり「こんな風にやってください」とたいして準備の時間も研修も与えられず、ノウハウの蓄積もない状態で、手探りで一公務員にかけられる負担としては重すぎます。いえ、公務員でなくても混乱するでしょう。

数年はうまくできなくて、やっとやり方がわかってくるのが5年後~10年後くらい?もっと?

数年でこれだけ壮大な試みの結果が出る/成功するはずありません!やめるの早すぎです。

いえ、子どもを持つ親の気持ちとして、自分の子供がそんな不確かなものでダメにされる(感覚をもつ)ことを何としても阻止したい気持ちは想像はできます。私個人としても、さんざんゆとりゆとり言われるのでそんなことしなくてもよかったのに、と思ったこともありました。

でも、大局的にみれば、ゆとり教育を終わらせてしまったことは残念としか言いようがありません。

私がゆとりが成功したと思う理由を、ゆとり教育に至るまでの流れ②その内容から説明します。

そもそも、ゆとり教育とは

ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは、日本において、2000年代から2010年代初期まで実施されていたゆとりある学校をめざした教育のことである。のこと。

 

2002年度から施行された学習指導要領による教育であるが、1992年度から施行された新学力観に基づく教育、および1980年度から施行された教育もゆとり教育であると定義する人もいる。

ゆとり教育 - Wikipedia

 最初に書いておきますが、私は教育に関しては学生時代「教職の単位なんとか全部とった」レベルの知識しかありません。すなわちソースもその辺の数年前の薄れかけた知識なのは申し上げておきます。間違いが発覚し次第修正しますね。

ちなみに、私がこの記事で書くのは2002年実施以降の話です。

 

一応、この記事の大前提になるところなので必要なところをwikiから引用しておきます。wikiですみません・・・。周知だと思うので読まなくても結構です。

2002年(平成14年)-

戦後7度目の改訂の学習指導要領。教育内容の厳選、「総合的な学習の時間」の新設により、基礎・基本を確実に身に付けさせ、「いかに社会が変化しようと,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力」などの「生きる力」の育成を宣言し、生涯学習社会への移行を促して行く。


学校完全週5日制が実施された。中学校では英語が必修となった(実質的には大部分の学校で以前も事実上必修扱いであった)。また、小学校中学年から高等学校において総合的な学習の時間が、高等学校において情報科および福祉科が創設された。その一方で、教科の学習内容が大幅に削減され、さらに、中学校・高等学校においてはクラブ活動(部活動)に関する規定が削除された。

これまでにも、学習指導要領の改訂で既に教育のゆとり路線が段階的に強化されつつあったが、この2002年度から実施された学習指導要領は学習内容の大幅な削減(円周率は3など)、完全学校週5日制の実施、総合的な学習の時間の新設など、今までのものに比べて大幅に改訂されたものであったため、一般には2002年度がいわゆる「ゆとり教育」の始まりとされている。

2003年12月に一部改正が行われて「過不足なく教えなければいけない」という歯止め規定の文言が消滅した。

ゆとり教育をつくったのは誰か

「ゆとり」批判はどうつくられたのか: 世代論を解きほぐす

「ゆとり」批判はどうつくられたのか: 世代論を解きほぐす

 

 

別に私たちゆとり世代が「ゆとり教育で育ててください」と生まれた瞬間ブッダの如く(違うか)言ったわけではないです。当たり前ですね。

 それを作ったのはどんな流れなのかというところ。

起点は、競争主義、詰め込み教育に辟易としていた現40代後半~くらいの親世代の人たちではないでしょうか。事実、ゆとり教育を熱心に推した一派には当時受験生をもつお母さま達がたくさんおられたと伺っております。

世代背景

親世代の学生時代は男性は受験競争の中、高校に入学できる人数が今よりはるかに少なかった上に成績表も絶対評価なので、勝ちと負けにはっきり分かれやすい。学生の数も今とは比べ物にならず、とても厳しい。登校拒否落ちこぼれなんて言葉が話題になった時期もあって。金八先生も流行したことだし。

「子どもを落ちこぼれさせるな」という動きも一部であったと聞いています。そこから、最低限のラインだけ底上げの意味で「基礎」として指導要領で提示してあとを個人の能力や目標に応じて自由にやらせる、みたいな部分がゆとり教育世代の要綱に入っていたはずです。

(その「基礎」のレベルの低さが後に学力低下論を生んだのですが。でもそもそも学力のみを重視しない教育なんだから、学力低下の指摘には疑問を感じます。大幅に落ちたわけでもないし)

そして彼らは世代としては詰め込み教育世代&管理主義教育世代。私は詰め込み教育の実態は経験していないのでよく知らないのですが、厳しいところでは服装や髪の長さが定規で測ってチェックされたり髪を教師に切られたり、極端になると運動会の返事の仕方や行進、喜び方や悲しみの表現の仕方まで決められた、一分でも遅刻すると校門が閉められた、なんてところからこんな痛ましい事件がありました。

神戸高塚高校校門圧死事件 - Wikipedia

管理主義や容赦なく落ちこぼされていく状況に疑問を抱いていた人が多かったから支持されたのではないでしょうか。

ゆとり導入まで:学校~就職

ゆとり教育へ向かう動きの初めは学力の向上に重点を置いた詰め込み教育と、それから管理主義教育への問題視。もちろん実施の内容は学校や自治体ごとに違いますので、あくまで傾向です。落ちこぼれや高校浪人なんかが問題になっていたようなことを聞いた覚えが。

画一的な競争教育から、人間性に問題があるのでは、と思われるような事件や社会問題が生まれました。

これに対する不満や問題点などから、学力だけでなく、自分の考える力や人間性を育てることを学校でも取り入れていこう、と。道徳や総合学習が導入されました。これも上手に実施できなかったので批判の的になりましたが。

ゆとり導入まで:企業から

それから採用活動など企業の中の話で言うと、ゆとり導入の背景には今でいう「これだからゆとりは論」みたいな、「これだからマニュアル世代は論」のようなものがあったのではなかったかと記憶しているのですが。

私たちの前、詰め込み教育世代はマニュアル世代という論があります。学力が高くても、教科書を詰め込んできただけだから自分で考えることができず、マニュアル通りにしかできないヤツが多くないか、と。それから、これからは言われたことを忠実にこなすだけではなく、自ら考えて創造する人材が必要なのだ、という時代の流れもありました。(結局かく言うゆとりもできていませんが)

 

ところで、言及記事の中の「ゆとり社員の短所」から、

 

  • 落ち込みやすい
  • 常に待ち(受け身)の姿勢
  • 積極性に欠ける
  • 対人関係が希薄
  • 競争意欲の欠落
  • 指示したことしかできない

 

というのが某有名企業のセミナーで短所として指摘されていたようなのですが、彼らをそんな子に育てたのは誰でしょうね?というのは考えてしまう。

ちなみにこれは私個人の話ですが、落ち込みやすい・受け身の姿勢・指示したことしかできない(学生時代の私)というのは、常に指示し、ときには不明確な命令をし、指示側の頭の中通りできなければ叱咤して自信と思考力を奪うような教育をすればそんな感じに仕上がりやすいです。

いつも「ゆとり教育を受けた世代」が槍玉に挙げられるけれど、「ゆとり教育を施した教育者たち」はどうなんだろう。

 そんな教育を施しつつ学校ではゆとり教育をしろと言い、会社に入ったらまた企業風土に合わせろ、それができないゆとりはダメだなんてムリ!と思ってしまうゆとりです。

ゆとり教育が目指したもの

 要は、最初のwikiの引用より、「いかに社会が変化しようと,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力」をつけることを目指した、規定を緩めた自由度の高い教育ですね。

具体的な内容についてはwiki参照でお願いします。

これがけっこう世間一般で言われていると思ったので言及記事からゆとりの特徴とされている仮説を引用すると、

  • チームを組ませても誰もリーダーになりたがらない
  • スキルアップすることだけを重視しスキルアップにつながらないものを軽視する
  • 自分で考えて決めろと指示しても何も決めることができない
  • あらゆる物事に理由を求めたがる
  • 先輩社員のアドバイスが聞けない
  • 丸投げで何かを全面的に任されることを嫌う

どれもちゃんとその通りになっていませんか?

つまり

スキルアップできるものを自ら考え取捨選択し

・あらゆる物事を頭から信じ込むことをせず

・先輩社員のアドバイスを正しいか一度自分の考える

ことができている。

裏を返せばデメリットなのはどんなものでも一緒です。

あらゆる物事に理由を求めたがる・先輩社員のアドバイスが聞けないというのは、「自ら考え行動する」ように、という教育の結果が一因では。

 スキルアップすることだけを重視しスキルアップにつながらないものを軽視する、というのは情報世代というか効率化の流れと、社会経験の少ないまま「自分の頭で考えて取捨選択」してしまった結果かもしれません。

都合の良いところだけ抜き出して申し訳ありませんが、責任感のなさみたいなものは私にはちょっと説明できないです。どうも申し訳ありません。

ただ、言及記事のゆとり世代の反論より、

・仕事を任されるのは全然嫌じゃないが単なる押し付けに対してはやる気が出ない

・仕事を任せられるに至った背景や求められている成果を先によくわからせて欲しい

 これはある意味自分の頭で考えているな、と思いました。

自分で課題を見つけ,自ら学べては・・・いないのかな。なんででしょうね。

 

もちろん、教育だけでこんなことになるはずはないので。社会背景など、私たちの世代周辺以降についてはこれが非常にわかりやすく背景や思考の傾向について分析してくれています。

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

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まとめ:ゆとり教育はやっぱり成功していた

 引用記事より、某大企業のセミナーからゆとり世代の長所

・のんびりしている

・おおらかである

・ゆったりしている

・素直である

・自己評価が必要以上に低くない

必要以上に他人を蹴落とす競争意識を持ったり、過剰に自己を相対評価して自信をなくす傾向が薄まりました。成功ではないですか。自ら考える人間もできたし、予定通り!

学力偏重をやめて、人間性や創造力や思考力を高めようという試みが間違っているわけがないし。

・・・と言いながらも、ゆとり世代を擁護する気は私もありません。結果からみると非難や不満が続出しているのですから、私たちゆとりは扱いにくくて学力が低く、常識のない、迷惑な存在なのかもしれません。(私なんか新卒半年で離職したフリーターなので、何を言っても説得力がありません)

まあ、ゆとり世代への批判を見ていると、それは単に若いからではないのか・・・みたいなところはあります。当然良いところも然り、です。

 

それから、ゆとり世代は「詰め込み・管理主義世代の親に育てられたゆとり世代」だということも。そのとき実施された学校教育を受けた世代をゆとり世代といいますが、彼らに教育を施したのは当然ながら学校だけではありません。

よく聞くゆとり批判派の「ゆとり教育のせいで子供がこんな風にダメになった!」というのは、裏返すと「学校教育次第でもっと理想的な子供が育てられる!」ということです。

そんな、それさえちゃんとやれば理想通りにいく、なんてうまいもんはなくて。親とか更にその親とか地域とか世相とかいろいろなものが絡み合って世代というか、人格などが形成されるのですから。

学生時代、どこかの授業で「学校教育に過ぎた批判することはすなわち教育への異常な期待の表れである」みたいなことを書いた本だったか何かを紹介されました。

本当にその通りだと思うんですね。

この記事ですでにこれと矛盾する内容を書いてしまっていますが許してください。ゆとりの批判の批判、というスタンスで書いています。

 

長くなりましたが、私が言いたいのはゆとり教育は当初目指した目標をほぼ達成できていて、その意味では成功だということ。今問題になっているのは当初の目標にあらかじめあったデメリット面で、もしそれを批判するならばデメリット面への考えが甘くはなかったかということ。

それから詰め込み教育からゆとり教育までの流れを忘れていやしないか、ということ。そして早急に実施し早急に結果を求めてしまったことがゆとり教育を短命にしたのだと思う、ということです。

そして私は、私たちの世代での「失敗」をバネにもっと試行錯誤しながら続けてほしかった。

ちなみに、もう10~20年くらいしたらもう一度ゆとり教育推進の波が来るのではないかと私は考えています。再度学力重視教育を受けだした今の世代が親になるからですね。

 

 

おわり

それでも、ゆとり教育は間違っていない

それでも、ゆとり教育は間違っていない

 

 

●ついでに

うちの親の「個性の尊重」についての愚痴

私の親は教育関係の職に就いていて、昔から個性の尊重っていうのをうたっているんですね。現場ではそのようにされているようですが、ただ、私は個性を尊重して育てられた記憶はあまりないです。

親の(こうでないといけないと)決めた習い事、親の決めた学校、親の決めた価値観、親の決めた人間性を完全に押し付けられてきた感があります。就職については、もう意に沿うことが不可能な精神状態になっていたので言う通りにはなりませんでした。

今考えると親の中で「人としてこれは絶対しないといけない」みたいな人生ルートが頭の中にあって、そこから外れさえしなければあとは自由に個性のままにしていい、ということだったんじゃないかと。事実ピアスとか化粧とかは先生に注意されない限りOKでした(やりませんでしたが)。

 

で、これってうちの親だけじゃなくて親世代(40代後半~60くらい)のクソ教師に割と多い価値観じゃないかと思います。男性は受験戦争世代ですし、まだまだ大企業信奉も強いですし。印象なんですが、もっと上の世代のクソ教師になると完全に個性とか言わずに押さえつけてくる印象・・・。

 

で、その人生ルートを子供の個性に合わせて変えることをしなかったから、それと私がたまたま相性が悪かったがためにお互いおかしくなったのだろうと今は思っています。

なぜ私が個性を尊重されなかったと感じるかというと、私はゴールとそこへ向かう道を個人で決めていいというのを想像するのに対して、親はゴールは世間や親が設定するがそこへ向かう道は自分で決めていいというのを想像していた、というところの乖離ではないのかと思うのです。

「個性の尊重」についての親と私の意識の差というのを陸上競技で例えてみますと、

私が考える個性の尊重というのは「長距離でも短距離でもフィールド競技でも専門競技は自分の能力に合ったものを選べばいい。目指す成果も練習方法も個人の能力や状態に合わせて組んでいい。なんならマネージャーなど、選手を目指さなくてもいい」というものです。

親の方は、「全員短距離で一位を目指さなければいけない。しかし、練習方法は個人の能力に合わせて選んでいい」みたいな感じ。