読書系フリーターの日常

ブラック企業を新卒半年で辞めた読書好きフリーターがいろいろ考えています。契約社員になりました。

日本で初めて、人体解剖された人間を知っていますか?/渡辺淳一 『白き旅立ち』

正確には、自らの意志で死後、解剖に自分の身体を提供した人物。特志解剖というらしいです。

西欧医学が入ってきた江戸時代、まだ日本では死後の人間を開くことは、それまでの文化や宗教観に抵触することであり、成仏できなくなるとも信じられていました。

解剖を行うのも、犯罪等で処刑された人間、無縁仏などのみ。自ら解剖されようと思う人間はほとんどいなかった時代に、第一号で進んで解剖された人物は、幕末に生きた

白き旅立ち (新潮文庫 わ 1-4)

白き旅立ち (新潮文庫 わ 1-4)

 

美幾、という名の無名の遊女でした。

『白き旅立ち』について

 本の筋は歴史系のフィクション。美幾(みき)は実在した人物で、東京は文京区の念速寺に墓碑があるようです。

作者が医学とは程遠い遊女が志願したことに興味を持ち、その記録を調べる間で美幾の生涯を小説として描いている形式です。

 ちなみに、著者の渡辺淳一北海道大学医学部を出た医士。有名ですが、ドラマ化された『失楽園』とか『愛の流刑地』とかを書いた人。

失楽園』『阿寒に果つ』も読みましたが、けっこう過激なこと(『失楽園』ではかなり性愛描写の激しい不倫地獄)を心の動きを細やかに書く一方で、事柄についてはあくまで外側から冷静に書く作家だな、というイメージがあります。

 

医学に携わってきた作家、という著者の視点から遊女としての美幾の一生<一代記>と、遊女になってから解剖されることを望むに至るまでの心情を細かに小説に仕立てているのが引き込まれます。この経歴を持ったこの人でないとできない、と感じたものです。

進んで解剖された、という珍しさを差し引いても、実在の無名の遊女の一生を追いかけた小説はなかなかないので、その点でも面白かった。

美幾という人物・略歴

 1836年江戸生まれ、10歳のとき年季奉公に出され、経済的な理由により16歳で吉原の遊女になる。すぐ淋病にかかり、不妊になる。

18歳安政2年)で「稲本楼」で三本の指に入るように。この年の番付表、「新吉原細見」に前頭の12枚目として名があがる。

22歳、通いの佐久間の人形問屋「丸久」の主人、久兵衛(当時50歳近く)の起請彫り*1を行う。

24歳、客として来た26歳の宇都宮三郎(後に宇都宮鉱之進と改める。、明維新前後の日本の化学界に大きな功績を遺した人物)と知り合い、馴染みになる。

26歳久兵衛が死亡し、起請彫りを消す。

28歳、年季が明ける。借金はすでに完済しているものの、働き続ける。体調の悪化。

30歳、喀血。金を騙し盗られ、辞められなくなる。

32歳、時代が明治に。長州遠征に出向いていた宇都宮との再会。病床の宇都宮より腑分け(解剖)を知る。宇都宮の紹介により、本来入所が難しい小石川養生所に入り、医師滝川長安に出会う。

34歳、小石川養生所(現在の小石川植物園)で性病と結核により死亡。明治2年、解剖される。

 

(『白き旅立ち』より抜出)

美幾に影響を与えた2人の男ー宇都宮三郎・滝川長安

宇都宮三郎

日本に「化学」という言葉を初めて導入した人物。

明治維新後は開成学校教官や明治政府技官工部省農商務省)となった。この間、セメント炭酸ソーダ、耐火煉瓦の製造などに当たり、日本での化学工業界の先駆者として貢献をした。また、福澤諭吉の紹介で交詢社入りし、赤煉瓦の邸宅と土地寄附した[1]

宇都宮三郎 - 宇都宮三郎の概要 - Weblio辞書

本の五分の一くらいは宇都宮三郎の人生も合わせて書かれており、かなりいろいろな発明を後世に残した人物かつ変人なので、この人も面白い。

 

滝川長安

宇都宮三郎に師事し蘭学を学んだ後、小石川養生所で医師として働く。西洋医学を学ぶために長崎に渡るも、肺炎により25歳で死去。

若くして漢方医術の中心である医学館に学びながら、蘭学に志し、佐藤舜海らと協力して西洋医学へも目を向けていた。いわば漢方、蘭学にこだわらず、よいものはどんどん取り入れようという。向学心に満ちた気鋭の医者であった。

 

 意外にも、時代を支えた人物に見えないところで関わっていた美幾。

破天荒な学者、宇都宮三郎、柔軟で優秀な医師、滝川長安。西欧の学問に造詣の深い二人との出会いが美幾を解剖に志願させました。

まとめ

「初めて志願解剖されたのは誰なのか?」そんな風に考えたことがある人はどれだけいるでしょうか?

少なくとも私は、(一応高校で日本史を選択しましたが)一度も考えたことはありませんでした・・・。

上記の人生の中で、どう生きて、どう感じて、誰と出会って、何を考えて死に、そして解剖されようとしたのか。その一生が物語の中で終わったとき、感慨深い思いでいっぱいでした。

そして、この無名の人物を掘り起こした渡辺淳一という人物がやはりすごい。

 

また、「苦界」と呼ばれる廓の生活はいろいろなところで書かれていますが、遊郭の「お仕事」や社会と待遇、医療や当時の性病についても史料に基づいてかなり仔細に書かれていて、当時についての理解が深まるはず。

作中の事象、心の動きや人物のセリフなど史料に無いものは想像で補っているものの、大きな出来事はほぼ実際の記録です。医療や解剖の歴史については、なにより著者が医師なので現在の対比と詳しい。

それ以外にも、歴史的な流れと時系列を合わせて書かれているので、かなり歴史小説としても読みごたえがある。特に長州遠征は、宇都宮三郎の力で大きく戦法が変わりました。

 

話の詳細と結末は書かないでおきます。

幕末の小説に、たまには無名の人物の一生も面白いかもしれません。

美幾と並んで、宇都宮三郎も表だって有名ではないが面白い。

新選組とかばっかりじゃなくてね。

 

書かれた時代は昭和初期と違うものの、最近流行っている『親なるもの断崖』なんかも壮絶な遊女の人生を描いていますが、まさにそれ。書いている方向としては似たようなものかな、と思います。

親なるもの 断崖 第1部 (ミッシィコミックス)

親なるもの 断崖 第1部 (ミッシィコミックス)

 

まだ全部読んでないけど、これでもか、というほどの売れっ妓とそうでない娼妓の各々の地獄がリアルで続きが死ぬほど気になっている。売れても地獄、売れなくても地獄、一歩間違えばあっという間に転落。恐ろしい。

 

 --------------------

※この記事全体の情報源はすべて『白き旅立ち』です。私が調べたり裏付けをとったりしたものではありません。

*1:客の名等を身体に彫る、心中立ての一種